【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(19)】 ヤクルト移籍1年目、野村克也監督の愛息でドラフト3位ルーキーのカツノリ(野村克則)が話題の中心となった1996年2月の米アリゾナ州で行われたユマキャンプでは、順調そのものでした。1クール目に連日課せられた3000メートル走はこたえましたが、気候に恵まれ、何より僕自身がやる気に満ちていたこともあり、充実した日々だったように記憶しています。

 そんなある日のことでした。投球練習を終えてブルペンを出ようとすると、野村監督から予期せぬ言葉をいただいたのです。「お前、ええコントロールしとるなあ」。僕は2つの意味で驚きました。

 1つは、どちらかといえば自分は球威で勝負するタイプで、それまで制球力の良さを褒められたことがなかったから。もう1つは、勝手な先入観で野村監督は選手を褒めることがないと思い込んでいたからです。ちなみに野村監督が選手と接するスタンスに「無視→称賛→非難」と3段階あることを知ったのは、あとになってからでした。

 天下の名将から褒められたわけですから悪い気はしません。何よりも、ほとんど実績のない外様の自分をちゃんと見てくれているんだと、うれしい気持ちになりました。結果を残して信頼を得ていかなければいけない立場の僕としては、より気合が入ったものです。

 首脳陣の期待は起用法にも表れていました。キャンプ終盤に3試合行われた紅白戦で、僕は初戦に紅組先発として起用されました。1番から飯田哲也、辻発彦さん、稲葉篤紀、古田敦也さん、池山隆寛さん、金森栄治さん…と続く主力相手に2回を無安打無失点。野村監督からは「間がいい」「いい雰囲気をしとる」とお褒めの言葉をいただきました。

 3日後に有料(1人3ドル)で行われたチャリティー紅白戦では、6233人の地元のお客さんの前で白組先発としてマウンドに上がり、真中満、宮本慎也、土橋勝征、大野雄次さんらが名を連ねた紅組相手に3回1安打無失点。野村監督は番記者を前に「今日一番の収穫」と僕の名前を挙げていたそうです。

 ヤクルトは前年に野村政権下では2度目となる日本一に輝いていましたが、岡林洋一、石井一久が肩痛、川崎憲次郎は右ヒジ手術で復帰までに時間を要する見込みで、連覇を目指す上でも新戦力の台頭が待ち望まれていました。そんな状況下で頭角を現したのが僕だったわけです。

 ダイエー時代にも一軍は経験してきましたが、メンタル的には「やってやるぞ」と勇ましく…よりも「失敗したらどうしよう」と不安ばかりが先に立ち、しんどかったというのが実情でした。もちろんプロ野球の世界そのものへの「慣れ」も大きかったと思いますが、新天地で覚醒し始めた僕の快進撃はユマキャンプを打ち上げて日本に戻ってからも、しばらく続きました。