プロサッカーのJリーグは開幕30周年を迎える。1993年5月15日にV川崎(東京V)と横浜Mの激突で第一歩を踏み出すと、大ブームを巻き起こす社会現象となった。当時、V川崎のストライカーだった元日本代表FW武田修宏氏(56)と、横浜Mの守備の要だった同DF井原正巳氏(55=柏コーチ)の同級生が久しぶりに顔を合わせたスペシャル対談の前編。Jリーグ30周年を振り返るとともに、過去の〝因縁〟を断ち切った――。
武田 Jリーグの開幕戦でV川崎と横浜Mが対決したけどさ、正巳は筑波大から90年に(横浜Mの前身)日産自動車に入ったんだよね。
井原 まだプロの話もなくて普通に日産自動車に就職した感じ。非常勤嘱託社員みたいな。人事部厚生課だったから。それでいつの間にか「プロができる」となって…。
武田 オレは(静岡)清水東を卒業して、(V川崎の前身)読売クラブに入って。試合に勝って10万円、負けたらゼロ、そんな時代。で、プロができるってどう思った?
井原 不安かな。もちろん、期待もあったけど、プロとして成り立つのかは読めなかったよ。
武田 前年の(92年)ナビスコカップで盛り上がって(日本代表が)広島アジアカップで初優勝して(93年4月に米国)W杯アジア予選を戦って。いい雰囲気の中で(5月の)Jリーグ開幕戦を迎えたよね。
井原 すごい慌ただしかったけど、開幕戦に出られたのはうれしかったよ。たくさんのお客さんと大歓声。初めての光景だったし、考えられないような盛り上がりだった。
武田 オレはピッチに入るときは涙が出たけど、開幕前に(FWへニー)マイヤーが加入して先発で出られるのかで不安だったからホッとしたというのもあったな。
井原 日本代表が強くなるため、W杯に出るためにJリーグがスタートした。実際、プロがなければW杯には出られていない。それと著名な外国人と一緒にプレーすることで成長できたかな。
武田 当時の外国人はすごかったな。世界的スターだった(アルゼンチン代表FW)ラモン・ディアスとか(イタリア代表FWサルバトーレ)スキラッチとか。
井原 ディアスのうまさ、得点感覚は味方ながらすごかった。嫌だったのは(カメルーン代表FWパトリック)エムボマ。一瞬の爆発力とかスピードは、もうどうしようもない。(ユーゴスラビア代表FWドラガン)ストイコビッチはうまくて速くて点を取るし、取らせる選手だったね。
武田 オレはFWだけど、嫌なDFは特にいなかった。何で? 苦手をつくらないよう、あえて意識しないようにしていたからね。正巳は日本人なら誰が嫌だった?
井原 オレはカズ(三浦知良=オリベイレンセ)さんよりもタケの方が嫌だったね。
武田 そう? ずるいし、汚いからだろ。
井原 メッチャ汚いFWだったよ(笑い)。きれいなゴールを決めるタイプに見えるけど、ゴール前の駆け引きは本当に汚かった。タケが引っ張ってるのに、オレがファウルを取られるとか。ずる賢いんだよ
武田 ボールのないところで何回も殴り合ってたからね。正巳には本当に申し訳ないなって。
井原 カズさんはうまくて華麗で、ゴン(中山雅史)ちゃんはスキを与えるとドーンと行くタイプ。タケは本当に嫌いな選手だったから。
武田 そこは30周年ということで…。でも90年代のJリーグは、まだレベルが高いとは言えなかったんじゃないかな。
井原 今は技術力も高い。子供のころからJリーグや海外サッカーを見てレベルも上がっている。指導者もね。30年で底上げができている。我々のころは雑だったよ。
武田 正巳はずっと指導者をしているけど、俺らの世代との違いを感じることはある?
井原 メンタルの部分だね。なぜこの練習が必要かとか。理詰めでいかないと、選手も真剣に取り組めない。指示されたことはできるけど、それ以外の自分でやんなきゃいけないこととかね…。
武田 同じような話はよく聞くよ。そこは日本サッカーの課題だね。ところでJリーグはこれからどうかな?
井原 100年構想で全国にクラブが増えたのはいいこと。サッカー文化が少しずつ定着しているけど、海外にはお金使うビッグクラブや選手を売るクラブがあるように、日本にも独自路線を行く、いろんなタイプのクラブができるといいな。
武田 最初は10チーム。いまは60チームでパイが大きくなると質が下がるでしょ。少子化で子供も少ないのに、いい選手はすぐに海外に行ってしまう。悪いことじゃないけど、リーグの質をもう少し…例えばJ1を12にするとか、プレミア化するのもいいかもね。
(後編に続く)












