【多事蹴論(66)】無冠のストライカーとW杯得点王の“壮絶バトル”とは――。静岡の名門清水東高の出身で高校サッカー界のスーパースターだったFW武田修宏はJリーグ通算94得点(JSL時代を含めると142得点)をマークしたストライカー。日本代表としても活躍し“ドーハの悲劇”で知られる1993年の米国W杯アジア最終予選で敗退した日本代表メンバーだった。

 V川崎(現J2東京V)で活躍した武田は96年に、磐田へレンタル移籍した。元日本代表監督ハンス・オフトが率いるチームで日本代表FW中山雅史、ブラジル代表MFドゥンガらのスターに加えて元イタリア代表FWで90年イタリアW杯得点王のサルバトーレ・スキラッチが所属。本来ストライカーの武田は新天地で右サイドバックながらも快速を生かし、ゴールを奪うことを期待されていたという。

 そんなある日の練習中のこと。右サイドバックでプレーする武田がスキラッチのマークに付いて後方から激しく競り合う格好になると、W杯得点王が激怒。武田の顔面に思い切り頭突きをくらわせたのだ。武田も応戦し、つかみ合いのケンカとなるなど、練習場は騒然となったという。武田は鼻骨骨折に加えて前歯を3本も折られ、病院に救急搬送となった。

「あのときのことは、ちゃんと覚えているよ。当時メディアにも書かれていたけど、ちょっと違うところもあるかな。実はスキラッチって意外にメンタル面が繊細でオレに(FWの)ポジションを取られるかもしれないって相当イライラしていたみたい。そこに激しく当たりにいったんでキレたんだって。嫌い? そこまでではないよ。彼は大きくない(身長171センチ)けど体は強いし、反転も速くてすごい選手だなって思っていたしね」と振り返った。

中山(左)と肩を組む武田(96年4月)
中山(左)と肩を組む武田(96年4月)

 重傷だった武田はそのまま入院となり、ベッドで寝ていると、スキラッチが謝罪に来てくれたという。「病室に来て『ケガさせて悪かった』って謝ってくれた。それにお見舞いでテレホンカードをたくさんもらったんだ。外に出られないんで病院から知り合いに電話してくれってことみたい。そこから仲良くなったかな。スキラッチも“タケちゃん”とか呼んでくれるようになったしね」

 武田は同シーズン限りで磐田を退団し、V川崎に復帰。スキラッチは97年シーズンまで磐田でプレーし、引退した。「お互いに辞めた後かな。イタリアのパレルモで開催されたサッカー教室で久しぶりに再会したんだよね。スキラッチは“おー、タケちゃん”と喜んでくれて。何といってもW杯得点王と一緒にプレーしたわけで、そこにドゥンガがいて、ゴン(中山雅史)もいて、ホントにすごいチームだった。スキラッチのこともいい思い出だよ」と当時を懐かしんでいた。 (敬称略)