【多事蹴論(62)】“元祖”天才プレーヤーが欧州制覇を果たした処世術とは――。小学生時代から「天才少年」と言われていた元日本代表MF小野伸二(43=札幌)は名門の静岡・清水商(現清水桜が丘高)から1998年にJ1浦和入り。高卒の新人ながらスタメンに定着すると、日本代表にも抜てきされ、18歳272日の日本最年少記録でフランスW杯メンバーにも選ばれた。

JリーグではFC東京時代の久保とも対戦(17年)
JリーグではFC東京時代の久保とも対戦(17年)

 2000年にアジアカップ優勝に貢献すると、01年にはオランダ1部フェイエノールトからオファーが届き、移籍金4億円(推定)で加入が決まった。すぐに「オランダビッグ3」の名門でスタメンに定着。02年5月には欧州サッカー連盟(UEFA)カップ制覇に尽力し、日本人初の欧州タイトルを手にした。当時複数の日本選手が欧州クラブに所属するも、主力としてプレーしていたのは小野を除けばイタリア1部ローマのMF中田英寿しかいなかった。

 しかも、フェイエノールトはオランダ代表を指揮することになるベルト・ファンマルバイク監督が率いる強豪で、後にイタリア1部ACミランで活躍したデンマーク代表FWヨンダール・トマソンやイングランド・プレミアリーグのアーセナルやマンチェスター・ユナイテッドで得点を量産したオランダ代表FWロビン・ファンペルシらスターが多数所属。選手層の厚いチーム編成だった。

 そんな豪華メンバーが集うチームで小野はなぜ活躍できたのか。オランダで2年目を迎えた当時、本人に理由を聞くと最大の理由に「語学力」を挙げた。「まだまだ完璧ではないですけど、みんなが何を言っているかはわかります。テレビを見て覚えたり、積極的に選手たちとコミュニケーションを取ったり。言葉に不安を持っていたらサッカーはやっていけない」

 実際、小野は家庭教師と契約し、チーム合流前からオランダ語を“猛特訓”。スタジアムで行われた新入団のあいさつでは完璧な発音を披露し、サポーターの心をつかむと、練習後やオフの日なども学び続け、指揮官やイレブンともコミュニケーションを深めたことで好結果につながった。さらに小野が“成功の秘訣”としたのは意外にも「夜遊び」だった。

 小野は「仲の良い選手がいるので、よく声をかけてもらって試合後はクラブにも出掛けていますよ。遊びに行くことでコミュニケーションが取れますから。すでにオランダで生活することが普通になっているので」とし「まあ、休みの前日とか夜通し遊んで奥さん(千恵子夫人)には寂しい思いをさせることもあるので、それは悪いと思いますが…」と話していた。

 小野はフェイエノールトで5シーズン、ドイツ1部ボーフムで3シーズン、オーストラリア1部ウェスタン・シドニーで2シーズンと海外でも長くプレー。43歳になった現在も現役を続けているのも“小野流”処世術のおかげといえそうだ。
 (敬称略)