【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(4)】聖望学園を卒業した僕は東北福祉大の野球部に入部しました。当時、東北福祉大からは佐々木主浩さん、矢野燿大さん、斎藤隆さん、金本知憲さんらOBが何人もプロ入りしていましたから、僕もこの大学で腕を磨いてドラフトで指名されるような選手になりたいと思っていました。

 だけど思っていた以上に東北福祉大の野球部はたいへんでした。上下関係も厳しかったし、何より嫌だったのが寮が古かったことです。寮生が150人ぐらいいたのですが、洗濯機が1台しかない。1年生は先輩のユニホームを洗濯して次の日にちゃんとそろえておくというルールがあったんですが、洗濯機が1台しかないから毎晩、寝る時間を削ってユニホームを洗っていた。洗濯だけではなく掃除、食器洗い、道具やグラウンドの整備など1年生がやらなきゃいけないことはたくさんありましたから練習どころではなかった。1年生のときは練習したかな?と思うほど雑用ばかりの毎日。今思えばよく逃げださなかったなと思います。

 練習もきつかった。投手はとにかくランニングの量が半端じゃなかったんです。部員が200人ぐらいいて、そのうち60~70人ぐらいが投手。土、日は授業がないから全員が練習に参加するんですけどブルペンで投げるのは4年生からなんです。ピッチングが終わったらランニングをしなければならないから、先輩たちも投球練習をなかなか終わらせない。だから1年生がピッチングできるのは4時か5時くらいからになる。朝10時くらいからそれまでずっとランニングして待機しなければならないんです。土、日は5時間、6時間走りっぱなしですから本当に“地獄”でしたね。

 競争も“シ烈”でした。200人の部員がAチーム、Bチーム、Cチームに振り分けられるんです。Aチームの選手は東北六大学リーグ戦に出場できますが、Bチーム、Cチームのメンバーは部内でリーグ戦を行って、そこで成績が良ければ上のチームに上がっていけるんです。だからベンチ入りメンバーになるためにはいくつもの関門を越えなければならない。60~70人ぐらいいる投手の中で一軍のベンチに入れるのは7、8人だけ。やっとAチームに入ったと思っても打たれればすぐにBチームに降格です。ある意味、プロより厳しい競争に勝ち抜かないといけなかったんです。だからリーグ戦前日にホワイトボードに出場選手として自分の名前が書き込まれたときは本当にうれしかったですね。

 それだけ厳しい競争があった野球部だけにレギュラーにはすごい人たちがゴロゴロいました。僕の2年先輩には1993年のドラフトで日本ハムから1位指名された関根裕之さんと巨人から1位指名された三野勝大さん(いずれも投手)がいて、すごい球をビュンビュン投げていました。そしてもう1人、1学年先輩にフリー打撃でものすごい打球をガンガンかっ飛ばすキャッチャーがいたんです。それが今年から中日ドラゴンズの一軍打撃コーチに就任した和田一浩さんでした。