【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】「学位まであと3クラスなんだけど、またもや保留になっちゃった」

 ボストンのノースイースタン大学に(一応)在籍する37歳のダニエル・バード。同大学は2017年からMLBとパートナーシップを組み、若手選手や引退した大リーガーたちのニーズに合わせた学位の取得をサポートしている。

 ダニエルが、06年のプロ入りで中断してしまったノースカロライナ大学心理学科の学位を取ろうと学業に戻ったのは、17年の引退後。すでに結婚し家族もいたため、同サポートを利用しオンラインが充実するノースイースタン大に転籍した。

「実際ここまで来ると、大学の単位がどんなふうに役に立つのかなとも思うけど、子供たちに『始めたことは最後までやりきろう』と教えたくて」と、専攻を一般教養へと変え、とにかく卒業を目指し、コーチ業のかたわら学業に励んでいた…はずだった。

 まだ幼いキッズ3人を抱えるダニエルパパ、実は学業どころではなくなった。

 13年4月を最後に立てなかった大リーグのマウンドに、7年の時を経て、しかも引退してから2年後に返り咲いたのだ。まるで別人のように。

「自分のストーリーは自分でもユニークだなって思う。トップを走り、若くに成功を収めたけど、転落。マイナーでも転げ落ち、ひどい苦戦を6~7年過ごした末、引退。心が燃え尽きてしまって、引退後は野球とはまったく関わるつもりがなかった。それがコーチになり、それがこのレベルに帰ってくるきっかけになるなんて、絶対に考えない」

 彼の充実したその表情は、ここまでの苦労話とはまったく一致しないほどにすがすがしい。球場にいることが心底うれしいのだと、全身で物語っていた。

「リタイアしたのは17年の8月なんだけど、その秋は妻、友人、メンターなどと話し、自分の人生をどうしたいか探って過ごした。好きな釣りで生計を立てられないかと店を開くことを検討したり、アウトドアのガイドになれないか探ってみたり。いろんな案を試した結果、何か野球に関わらなければ、何らかの形で助けなければ、自分が野球で苦労したことや大変だったことは、何の意味も持たないんじゃないかなって思いに至ったんだ。若手のやつらの手助けがしたい。それが野球に戻った理由だった。5人家族を養う必要もあったしね」

 ただし、いわゆるコーチにはなりたくなかった。毎日ユニホームを着て、グラウンドに立ち、シーズンのつらさを選手とともに過ごす生活は、野球に近すぎる。

「ダイヤモンドバックスで、プレーヤー・メンターの役割をもらったんだ。メンタルスキルを教えるというか、話の聞き役。これが結構しっくりきて、自分自身でいられたし、自分の経験を生かして選手らを助けることができた」

 仕事内容は、球団傘下のマイナーリーグへそれぞれ年3~4回出向き、3~4日選手らとハングアウト。選手らの話し相手となり、必要な時に手を差し伸べる。

「たくさんの選手が、パフォーマンスに対する不安を持っている。自分の能力は足りないんじゃないか、言われたことができていないんじゃないかって。18歳、19歳のやつらは家族から初めて離れる日々でホームシックになりやすい。フィールドでも苦戦。家族にも4~5か月会えない。野球はやめたくないけど、家に帰りたい。ほとんどの場合、聞いてあげて、気にしてるってことを伝えるだけでいい。自分も同じ経験をしたよ、と」
 自分が現役時代、支えてくれたメンターたちのように自分も助けたい。その一心だったダニエルに思いも寄らぬ変化が訪れる。 =続く=

☆ダニエル・バード 1985年6月25日生まれ。37歳。米国テキサス州出身。右投げ右打ちの横手投げ投手。2006年のMLBドラフト1巡目(全体28位)でレッドソックスから指名されプロ入り。09年5月にメジャーデビュー。同年は49試合に登板し2勝2敗1セーブ。10年は73試合でリーグトップの32ホールドを記録すると、11年もリーグ最多の34ホールド。12年以降は不振に陥り、複数球団を転々としたがメジャー昇格はなく、18年1月に引退を表明。同年2月からダイヤモンドバックスのメンタルトレーニング部門のスタッフに就任した。20年2月に現役復帰。同年7月に7年ぶりにメジャーのマウンドに立って勝利投手となり話題になると、21年に20セーブ、22年は34セーブを挙げ、ロッキーズの守護神として活躍している。