燃える闘魂にも唯一、頭が上がらない人物がいた。元番記者が10月1日に死去したアントニオ猪木さん(享年79)の〝昭和〟を振り返る連載第23回では、地方会場で目撃した意外な光景を公開する――。
岡山県の山の方の都市での、フツーの地方大会のはずだった。調べてみると、1987年3月5日、津山総合体育館だったらしい。
いつもの通り、リングアナの田中ケロちゃんの横に座った。右側のリングサイドを見ると、小さなオッちゃんが3~4人のお付きの人に囲まれるように陣取っている。はて? どこかで見たような…。
ケロちゃんに「あれ誰?」と聞くと「S会長ですよ」。おー、あのS急便の。どこかで見たことあると思った。猪木さん、新日本プロレスの大スポンサーだ。しかし、それが何でこんなところに?
何かあるのかと思いを巡らせているうちに「炎のファイター」が会場に流れ始めた。メインイベントだ。カードはアントニオ猪木、藤波辰巳(現辰爾)、ジョージ高野組VSケンドー・ナガサキ、ミスター・ポーゴ、ジョージ・ウェールズ組の6人タッグマッチ。
しんがりで入場してきた猪木さんはS会長の前に直行し、何やら言いながら深々とお辞儀をした。体が2つに折れたかと思えるような礼だった。
試合は言うまでもなく〝御前試合〟で大張り切りの猪木さんがウェールズをフォールして勝利。勝ち名乗りを受けると、退場の際にまたS会長のもとに出向き、またもや深々と頭を下げた。そして場内に流れる「炎のファイター」以上の大音量で「ありがとうございました!」。S会長は「うんうん」とうなずきながら満足そうにほほ笑んでいた。
「さすが大スポンサーには如才ないな」と猪木さんの対応に感心したが、超多忙なS会長がなぜ岡山の山の中に現れたのかという疑問は解決しないまま。それでS会長を宿泊先まで追いかけた。ただ、一歩遅かった。エレベーターに乗り込むところで、離れたところから「S会長!」と呼びかけたものの、そのままドアが閉まってしまった。
猪木さんと一緒にいるはずと探したが、姿をくらまして分からずじまい。どこかで会食したのは間違いないだろう。
あの夜、いったい何が話されたのか。何十億円の猪木さんの借金をS会長が肩代わりしたと言われるのはこれから4年後のことである。
(元プロレス担当・吉武保則)










