1日に死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)を歴代プロレス担当が振り返る追悼コラム第6回。新日本プロレスの「黄金時代」と呼ばれる1980年代をよく知る記者が〝練習の虫〟ぶりを明かす。

【さらば燃える闘魂6】

 1980年代半ばから後半にかけてのこと。シリーズが終了しオフになると、猪木さんは深夜に東京・上野毛の新日本プロレス道場を訪れたという。トレーニングするためだ。

 当時の猪木さんは借金の返済に追われるほか、スポンサー筋との会食など多忙を極めていた。それらをすべてこなしたあと、道場に立ち寄り、汗を流すのが日課となっていた。始まるのはだいたい深夜1時ごろ。そこから2時間、3時までみっちり練習したというから、ある意味大したものだ。

 とばっちりを食ったのが、当時の付け人・蝶野正洋。猪木さんにたたき起こされ、練習に付き合わされるのだから、面倒くさがりには最悪の事態だったろう。

「今日は猪木さん、来なけりゃいいんだけどなぁ」と蝶野は毎日、寝る前につぶやいていたとか。

(元プロレス担当・吉武保則)