【プロレス蔵出し写真館】〝不沈艦〟スタン・ハンセンが17日、京セラドーム大阪で行われたオリックスVSソフトバンク戦で始球式を務めた。

 ハンセンは「プロレス現役時代から、ベースボールは大好きで、来日した時にはファミリーでよく見に行きました。」と、オリックス球団にメッセージを寄せたが、ザ・デストロイヤーと阪神の試合を観戦する姿はテレビでも捉えられたこともあった。

 ハンセンは、2015年の6月21日、阪神百貨店梅田本店の阪神タイガースショップで行われたトークショー&サイン会で、30年来の阪神ファンであること、阪神に在籍した〝史上最強の助っ人〟ランディ・バースとは飲み友達であることを明かした。前日20日には、自身にちなんだ背番号「8000(ハッセン)」の縦縞のユニホームで甲子園球場に足を運び、マット・マートンらと談笑し、阪神にエールを送った。

 ところで、ハンセンにはバースの他にも交流があった阪神の選手がいた。

 今から39年前の83年(昭和58年)4月11日、広島市内のお好み村にある「山ちゃん」で、ハンセンは〝ミスタータイガース〟掛布雅之とばったり遭遇した。「大ファンなんですよ。もう最高です」と掛布は大喜び。ハンセンのトレードマーク、テキサスロングホーンのポーズで共演した(写真)。

 掛布は英語が堪能だった東スポのカメラマンに、「なんでもオーダーするように言って下さい。今日は僕、バットを持ってないので戦えないからって」とジョークを飛ばし、掛布のことを知っていたハンセンも「ミスター・ホームランにビールを!」と終始、ご機嫌。

 ハンセンと同席していたロン・バス(翌12日、愛媛・松山大会でハンセンとインタータッグを奪取)を交え、身ぶり手ぶりの英語で身体の鍛錬法などをつまみに大盛り上がり。店のビールを飲み切ってしまい、店の冷蔵庫にあった缶ビールを分け合って飲み、宴はお開きとなった。

 1年後の84年4月12日、ハンセンは甲子園を訪れ、掛布と再会。そして、バースと初対面した。「来日したらぜひ会いたいと思っていた。僕はハンセンを尊敬している」とバースが明かし、球場内の喫茶室でリチャード・オルセン投手も加わりハンセンと談笑。この席でバースはホームランを約束し、言葉通り先制2号2ランを放つと、掛布の4号も飛び出しネット裏のハンセンを喜ばせた。

 さて、オクラホマ出身のバースは、昔から大のプロレス好きだったようだ。74~75年にかけてオクラホマ地区を席巻していた、まだ若手だったハンセンとブルーザー・ブロディ(当時はフランク・ゴーディッシュ名)組にゾッコンだったと告白した。 

 ハンセンとバースは〝交際〟が始まってから、86年1月、ハンセンが誘って米ニューヨーク州アクロンのサンドヒル・ロードに新居を構えたデストロイヤーの新築祝いに揃って駆けつけた。

 全日本プロレスの87年7月6日、大阪・高石大会ではハンセンとデストロイヤーの応援にバース一家が集結したこともあった。

 ハンセンが阪神ファンになったのは、酒席をともにした掛布の魅力が〝きっかけ〟となり、バースと友情が生まれたからだった(敬称略)。