京セラの稲盛和夫名誉会長が24日に老衰のため、死去した。90歳だった。稲盛氏は京セラや第二電電(現KDDI)を創業し、「経営の神様」といわれた一方、民主党政権誕生の立役者でもあった。小沢一郎氏に託した二大政党制の実現は道半ばとなってしまった。
稲盛氏は1959年に27歳で京都セラミック(現・京セラ)を設立し、ファインセラミックスの技術で世界的な企業に成長させた。84年には、第二電電を設立した。組織を小さな集団に分ける管理手法「アメーバ経営」は多くの経営者の手本とされ、若手経営者向けの経営塾「盛和塾」を非営利で主宰し、ソフトバンクグループの会長兼社長の孫正義氏も入塾していた。
2010年に経営破綻した日本航空の再建に尽力したが、これは当時の民主党政権と深いパイプがあったからだ。作家の大下英治氏は「稲盛さんは小沢一郎さんや前原誠司氏さんの有力な後援者で、2000年代の政界において、さまざまな役割を果たした。経済界だけでなく、政界も立て直しに必死に動いた」と振り返る。
03年に菅直人代表の民主党と小沢一郎党首の自由党が合流する民由合併があった。
「2か月前に民主党のパーティーであいさつした稲盛さんは『あそこに来賓で来ている人たちと一緒になった方がいい』と小沢さんらを指し、『政権交代可能な健全野党が育っていない。小異を捨てて大同につく勇気を持ってもらいたい』と説き、菅さんと小沢さんの会談をセットした」(大下氏)
また、09年の総選挙前に西松建設事件で小沢氏の秘書が逮捕される騒動で、民主党は大混乱に陥った。“剛腕”で鳴らした小沢氏に党内では誰も意見できない中、動いたのは稲盛氏だった。会談の場を持った翌日、小沢氏は代表辞任で騒動を火消しし、民主党は政権交代を果たした。
一方で、翌年の党代表選では、事前の交渉が物別れに終わって、菅氏と小沢氏でシ烈な権力争いとなった。敗れた小沢氏は野田政権時に離党し、民主党は崩壊の一途をたどった。
「稲盛さんは、なんとか小沢さんに代表選に出ないよう説得し、党が分裂しないように働きかけたがダメだった。今の野党が弱くなっている根っこはこの時にある。もし、小沢さんが割って出ないで、民主党が強ければ、その後の安倍長期政権もなかった。稲盛さんは二大政党制でないと民主主義は発揮できないと先を見通していたからこそ、民主党のために一生懸命だった。それだけに民主党の崩壊を歯がゆく、誰よりも悔しがった」(大下氏)
稲盛氏の死去を受け、小沢氏は「会長の先を見据えるご見識と全てを包み込む人間力に、私自身どれほど助けられてきたか、わかりません。会長がお元気なうちに、もう一度政権交代をして、何とか御恩返しができればと思っておりました。本当に残念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げます」とのコメントを発表した。











