積年の恨みを晴らしたが…。バイデン米大統領(79)が1日(日本時間2日)、国際テロ組織アルカイダの最高指導者アイマン・ザワヒリ容疑者(71)の殺害作戦に成功したと発表した。ザワヒリ容疑者は2001年の米同時多発テロの首謀者ウサマ・ビンラディンが11年に殺害された後に組織を引き継いだ“最後の大物”。11月の米中間選挙を前にターゲットとなった背景は――。

 殺害作戦は現地時間7月31日早朝、アフガニスタンの首都カブールで、ザワヒリ容疑者が潜伏先住居のバルコニーに出たところでゴーサインが出された。米空軍のドローンから発射されたミサイル2発がピンポイントで直撃したとみられる。弾頭部では、弾薬の代わりに設置されたニンジャ・ブレードといわれるブレード(刃)が回転し、標的を襲う。建物に損傷はなく、スナイパーに狙われたかのような現場だった。

 エジプト出身で外科医だったザワヒリ容疑者は“ビンラディンの右腕”“アルカイダの理論的支柱”といわれたが、謎の多い人物だ。

「アルカイダ自体はその都度、目的が変わってきている組織で、ザワヒリはFSB(ロシア連邦保安庁)のエージェントといわれた時代もあった。ビンラディンとザワヒリには温度差があった」と指摘するのは、ジャーナリストの常岡浩介氏だ。

 サウジアラビア出身のビンラディンは旧ソ連が1979年にアフガニスタン侵攻後、義勇兵として参戦。89年のソ連撤退後は米国を敵対視し、01年に同時多発テロを主導した。

「ビンラディンがアフガンで指揮していた時にザワヒリは現地に入らず、エジプトのジハード団を指導していた。ソ連と戦うことに大きな関心がなかったどころか、その後に、FSBの訓練組織にいて、反米一筋ともいえる。ビンラディンはザワヒリに流されて、反米化したともいえる」(常岡氏)

 ビンラディンが11年に当時のオバマ政権に殺害され、ナンバー2だったザワヒリ容疑者がトップに就任。反米色を強めるかと見られたが、「シリアで戦争になったらアルカイダ組織のヌスラ戦線を指導し、独立するのを認めたりしている。世界のアルカイダ系がやっていたのは米への攻撃ではなく、イランやシーア派政権を目標にして、方向性が次々と変わり続けた。イデオロギーありきではなくて、自分たちそのものが大事」(常岡氏)。

 アルカイダが力を失いつつある中、ザワヒリ容疑者は昨年、政権奪還に成功したイスラム主義組織のタリバンが支配するアフガニスタンに移ったとみられるが、これが命取りとなった。

「タリバン政権は一枚岩ではなく、過激派のハッカニグループと穏健派のバラダルグループが対立していて、米は『アルカイダと手を切れ』とバラダルグループと約束していた中、タリバンの主導権を握ったハッカニグループがザワヒリをかくまっていた。CIA(米中央情報局)はかなり早い時期から潜伏情報をつかみ、殺害するタイミングをうかがっていた。バルコニーに出るなんて狙ってくださいといっているようなもので、ザワヒリは相当油断していたのでしょう」(常岡氏)

 この数年、アルカイダは米国へのテロを仕掛けるなどの表立った行動は取っていないが、ザワヒリ容疑者は同時多発テロの前年にイエメン沖で17人が死亡する米駆逐艦コールへの自爆テロを主導したとされ、米政府は2500万ドル(約32億5000万円)の懸賞金をかけているほど恨んでいた存在だった。

「アルカイダはザワヒリの後継者を選び出し、米に復讐すると言い出すかもしれないが、幹部はほとんどが米に殺害されている。ザワヒリが最後に残った“大・大物”だった。もう世界でもアルカイダに協力して、脚光を浴びる時代ではない。求心力も失って、組織的な反米的な活動もしなくなる」(常岡氏)

 バイデン氏は新型コロナウイルスに感染し、隔離された状況でこの作戦を指揮。11月に控える中間選挙へ向けテロとの戦いの成果をアピールしたともいえる。ただ同時多発テロから20年以上が経過した今、バイデン氏のアルカイダ征伐がどのような評価を受けるのか、不透明だ。