亀田三兄弟の次男で、元ボクシング世界2階級王者の亀田大毅(33)が27日、デジタルシングル「みんなへ」を配信スタートさせ、自身のユーチューブチャンネルで、午後6時からミュージックビデオ(MV)を初公開する。自ら作詞・作曲し、日本中を巻き込んだ内藤大助戦(2007年)後、失意のどん底にいた大毅が自責の念を込めて書き上げた楽曲だ。〝歌うまボクサー〟で知られ、現役時代も試合後に歌唱する姿が印象的だったが、歌の師匠は「T―BOLAN」のボーカル・森友嵐士だった。

 ――初めてのMV撮影はどうでしたか

 大毅 解体現場や修理現場などで撮影しましたけど、コンセプトや撮影はすべて監督さんにすべてお任せしたんで。でも、2回衣装替えもしました。すべてが初めての体験だったんで、こんな風に撮るんやと。

 ――「みんなへ」は自ら作詞・作曲を担当。なぜ作曲をするように?

 大毅 プロ4戦目かな。T―BOLANの「ハート オブ ゴールド」を歌って。その時にボーカルの(森本)嵐士さんが会場の後楽園ホールに見てきれくれて、その後の打ち上げにも来てくれた。その時に嵐士さんに「お前もピアノを買えば、曲を作れるんじゃない?」と言われたんです。それで、最初は2万円くらいの安い電子ピアノを買って。「みんなへ」はそれでできた曲なんですよ。

 ――そこからピアノにもハマったと

 大毅 17歳から22歳ぐらいまではピアノ弾きながら毎日歌ってた。歌が好きだからやってましたね。もちろんボクシングの練習が一番ですよ。でも、趣味でパチンコする人もおるじゃないですか? 歌やピアノが趣味でストレス発散にもなった。だから曲もほんとに自然にできた。

 ――森友さんの影響も大きそうですね

 大毅 嵐士さんに「本格的にやりたい」と言ったら、100万くらいの電子ピアノをお勧めされて、それからはそれを弾いてました。「みんなへ」も、メロディーだけは嵐士さんに1回聴いてもらってて。俺のベッドに座って足を組んで「いいよ、弾いてみな」って言われて弾いたら「いいじゃん、いいじゃん、もっと曲書けるよ」って。そこから真剣にピアノをやるようになった。日曜は休みだったから、土曜の夜は深夜3時、4時まで弾いてましたよ。その時に作った曲はまだ50曲ぐらいある。
 
 ――大毅さんといえば、試合に勝った後に歌を披露する姿が印象的だった。どうして歌が上手に?

 大毅 亀田家はみんな歌は好きですけど、僕はピアノで練習してたから音程を取れるようになったからかな。あとは18歳の時に森本嵐士邸で、3泊の歌の合宿をさせてもらったのも大きいかも。家にある特設スタジオでモーニング食べてから、3時間ずっと歌って。昼ご飯を食べた後に夜7時までずっと歌い続けた。で、夜9時以降から深夜1時まで歌ってをずっと繰り返してたから。

 ――改めて「みんなへ」がリリースされる心境はいかかですか

 大毅 実感は全然ないですけど、自分の歌がカラオケで歌えるってすごい、なんかすごいですよね。カラオケで歌手名「亀田大毅」で検索したら出てきた時に実感するんでしょうね。僕もいろんな人の歌を歌ってきたんで、自分の歌が少なからず歌われるということはうれしいですね。

☆かめだ・だいき 1989年1月6日、大阪府西成区出身。04年、史上最年少の15歳3か月で全日本実業団選手権バンタム級優勝。06年にプロデビューし、10年にWBA世界フライ級王座を戴冠し、日本人初の兄弟王者に。13年にIBF世界スーパーフライ級王座決定戦で勝利し、世界2階級制覇王者となる。15年に現役引退。タレント活動の傍ら、昨年10月からは兄・興毅が会長を務めるプロボクシングジム「K WORLD3 ジム」の副会長兼トレーナーとして、後進の指導にもあたっている。