【岩村明憲 ガンガンいこう!(1)】僕のモットーは、言いたいことは言う。その代わり、結果もしっかり残すことを肝に銘じてやってきました。野球選手として決して大きくない体でここまでやってこられたのは、生来の負けず嫌いに加えて、人に恵まれたこともあったと思います。
ただ、時には意見を主張するあまり、“やんちゃ”と見られたことも。それでも、ポリシーは曲げられない。今となっては思い出すだけで冷や汗が出てくる出来事も多々ありましたが、当時関わった方々には温かい目で見てもらったと感謝の気持ちしかありません。
そして記念すべき1回目は、東スポにも大きく取り上げられたフルさん(古田敦也氏)との不仲説の真相からお話ししましょうか。
僕が送りバントを命じられ、ふてくされて、古田監督の目の前でバットを投げつけるなど、大暴れしたと報じられた件です。
あれは古田兼任監督1年目のシーズン。2006年、7月25日に、後半戦開幕となる横浜戦を福島県いわき市で迎えました。
問題の場面は5回に訪れました。3―0とリードし、迎えたこの回。先頭打者の青木がヒットで出塁し、続くリグスは四球を選び、無死一、二塁の場面で僕に送りバントのサインが命じられたのです。
当時の僕は2年連続3割30本を達成。チームのクリーンアップを打っているプライドもありました。出された瞬間は「ん!?」と目を疑いました。
すぐに三塁ベースコーチを務めていた馬場さんに“もう一回!”とサインの確認をお願いしました。…間違いない。
マジかと驚いたけど、もう、こうなったら決めるしかない。覚悟を決めた僕は三塁線に転がし、三塁を守っていた横浜・村田も慌てたことで結果として、セーフティーバントになりました。
その後、ラミレス(現DeNA監督)も打って、その回は一挙4得点。リードを広げ、勝利を確実にしました。
一方、ベンチに戻った僕は気持ちが収まらず、“大暴れ”となるわけですが…。実はここまで怒ったのには、伏線がありました。
☆いわむら・あきのり=1979年2月9日生まれ。愛媛県宇和島市出身。右投げ左打ち。宇和島東高3年時に全日本選抜で4番を務める。96年ドラフト2位 でヤクルトに入団。2001年の日本一に貢献する。04年には44本塁打をマークし、04~06年には3年連続で3割30本を達成した。07年にデビルレ イズ(現レイズ)に移籍。08年には主力として、球団初の地区優勝、ワールドシリーズへと導く。その後、パイレーツ、アスレチックスを経て、11年から NPBに復帰。楽天で2年、ヤクルトで2年プレーした後に15年からルートインBCリーグ・福島ホープスで選手兼監督を務め、現在は代表も兼務する。座右 の銘は「何苦楚魂」。












