ラグビー日本代表WTB山田章仁(30=パナソニック)が異例の“二刀流”に挑んでいる。15人制では昨年のW杯イングランド大会で大活躍し、現在は世界最高峰リーグ「スーパーラグビー(SR)」のサンウルブズでプレー。同時に7人制ラグビーにも取り組み、今夏のリオ五輪出場を目指している。そんな山田を陰で支えるのが、夫人のローラさん(27)だ。モデルとしても活躍する評判の「美人妻」が本紙の単独インタビューに答え、夫の素顔を明かした。

 ――「美人妻」として活躍の場が広がった

 ローラさん:(バラエティー番組の出演は)楽しいですね。今までCMとかはありましたけど、テレビでしゃべるお仕事はなかったんで、いい経験になっています。

 ――自分に向いてる

 ローラ:どうだろう? まあ、おしゃべり好きですからね。(昔から)よくしゃべる子とは言われていました。テレビでも見たまんまです(笑い)。

 ――山田との出会いは

 ローラ:2013年の3月かな。レストランでのナンパです。外国人だと思われて英語で「どうしてもケータイの番号を教えてほしい」と話しかけられて。わからないだろうと英語で早口で言ったら、彼がそれを全部聞き取ってたんです。

 ――当時、山田のことを知っていたのか

 ローラ:全然知らなかったです。スポーツ選手であることも知らなくて(第一印象は)ただ“大きい人だな”って。

 ――ラグビー選手と知って印象が変わった

 ローラ:特にスポーツ選手だからって変わらなかったです。「プロでラグビーってすごいねー」って感じでしたね(笑い)。ラグビー自体知らなかったですし、彼自身を好きになったから。すごく優しい。ちゃんと私のことを考えてくれている。

 ――結婚の決め手は

 ローラ:プロラグビー選手って職業的には不安定じゃないですか。私もモデルでお互い不安定な職業でいいのかなと思ったんですけど、彼は引退後のプランが出来上がっていたんです。この人についていっても将来、大丈夫なんじゃないかっていうのはありましたね。

 ――ラグビーに関しても計画的か

 ローラ:SR行ってW杯で活躍して…と自分の中で全部プランを決めているんですよ。今のところ、ほぼ彼が描いた通りになってますね。W杯行って五輪行って、またW杯行って、頑張れば「もう1回五輪」と言っていましたね。やっぱり目標を持たないと人生つまんないからと。

 ――山田も悩んだ時期はあった

 ローラ:エディー(ジョーンズ・前ラグビー日本代表ヘッドコーチ)さんの合宿は肉体的に大変だったらしいですけど、精神的にも疲れていた部分があったみたい。エディーさんはすごくいい人なんですけど、たまに言い方が厳しくなっちゃうみたいで…。そういうときは全部聞きます。「こう思っているからそういうふうに接してるんだよ」と、ポジティブな話にもっていったり、彼が納得いくまで話しましたね。

 ――普段からラグビー漬けの生活

 ローラ:自主トレでジムに筋トレに行ったり、週に2~3回は行っているんじゃないかな。家でもアイシングと圧迫を一緒にしてくれるマシンを買って毎晩痛い部分をケアして自己管理していますね。

 ――食事にも配慮

 ローラ:食べちゃいけないものは我慢して、ストイックですよ。私が「アスリートフードマイスター」の資格取ったのも彼が料理できなかったから。私が料理してあげたいって感じですね。

 ――夫に弱点はない

 ローラ:そんなことないですよ。ちょっと天然というか…ダジャレ言ってみたり。私は笑ってあげるけど、「あまり言わないほうがいいよ」とは言ってますね。

 ――オフの過ごし方

 ローラ:よくカフェに行ってます。延々と3~4時間くらい。9割ラグビーの話で、将来や子供のこと。彼は5人欲しいと言ってましたけど、それは無理(笑い)。2人とも子供が好きなんです。

 ――期待することは

 ローラ:まずはしっかり五輪のスコッド(メンバー)入りしてほしい。今でこそ代表の常連になってますけど、去年の今ごろは(W杯に)行けるかどうかもわからなかったんですよ。油断せず、スコッドに入って試合に出られるまでは頑張ってもらいたいな。

☆やまだ・ローラ=1988年9月23日生まれ。米国出身。父は米国人で母が日本人のハーフ。アイオワ州立大卒業後に「エリナ・シルカ」名でモデル活動を開始。昨年3月にラグビー日本代表の山田章仁と入籍。現在はタレントとしても活躍。公式ブログ(http://lineblog.me/elinasilka/)で仕事と家庭を両立する日常を公開している。

☆やまだ・あきひと=1985年7月26日生まれ。福岡県出身。5歳からラグビーを始め、小倉高から慶応大に進学。卒業後の2008年にホンダとプロ契約。10年にパナソニックへ移籍し、12年にはアメフットにも挑戦した。13年には日本代表でプレー。15年W杯イングランド大会のサモア戦では“忍者トライ”を決めて脚光を浴びた。五輪種目の7人制代表としても活動中。181センチ、90キロ。