新たな一歩を踏み出した。4月に現役を引退したスピードスケート女子の高木菜那(29)が本紙の単独インタビューに応じた。2018年平昌五輪で日本女子初の2冠に輝いた一方で、2月の北京五輪団体追い抜き(パシュート)決勝では、最終コーナーで無念の転倒。銀メダルに終わり、大粒の涙を流した。光と影を知る一流スケーターの生きざまを3回にわたってお送りする第1回では、北京五輪で抱いた苦しみ、窮地を救った名曲、自身の競技人生について語った。
パシュートでの一糸乱れぬ隊列は、日本の最大の武器だった。選手、コーチ、科学スタッフが一体となり、極限まで空気抵抗を減らした3人の滑りはまさに芸術。北京五輪1回戦で2分53秒61の五輪新記録(当時)をマークし、連覇への期待は最高潮に達していた。決勝のカナダ戦も終盤までリードする展開だった。しかし、最終6周目で菜那がバランスを崩してしまい、金メダルへの道が閉ざされた。
菜那 正直まだそこは、私の中では消化し切れていないところです。今でもあの映像を見ると、涙が出てきたり、すごく苦しくなってしまうことがあります。でも、いつかしっかりと自分のものにできるように、今は向き合うことが大切なのかなと思っています。
想像を絶するようなショックを味わった。レース後は「やっぱり最後転ばなかったら優勝できたタイム。本当に悔しいです」と涙が止まらなかった。妹の高木美帆(28=日体大職)と、佐藤綾乃(25=ANA)は決して菜那を責めることはなかったが、その後に控えるマススタートについては「後で考えます」と話すことしかできなかった。絶望のふちに立たされた中、高木姉妹と親交の深い歌手・家入レオ(27)の曲に救われたという。
菜那 私が北京五輪のときに助けられたのは、レオちゃんの「あおぞら」です。美帆も「あおぞら」が好きでパシュートで転んだ後に聞いていたら「私にあてた曲じゃん」と思ったんですけど、最後はラブソングだったんですよね(笑い)。これラブソングだったのか、私に歌った曲じゃないんだなと。応援ソングかと思いきやラブソングだったので、それを美帆に話したら大爆笑されたのですが、美帆がレオちゃんに話したときに、ラブソングはファイトソングでもあるから同じ意味と言っていたみたいです(笑い)。
パシュートから4日後、菜那はマススタートのスタートラインに立った。新型コロナウイルス禍の影響で同種目に出場したのは、一昨年3月のW杯以来だった。「久しぶりだったので、自分の中で思うようなレースができなかったし、どうしたらいいのかも分からなかったです」。ポイントを奪えない中、ラスト1周で先頭に立ちながらも、再び最終コーナーで転倒の悪夢が待っていた。金メダルに輝いた4年前の再現とはならなかった。
菜那 すごい申し訳ないレースをしてしまったなという気持ちが大きかったですね。今回の北京五輪は自分の最高の全てを出して、しっかりと金メダルを取りにいきたい五輪だったし、今回が一番懸けてきた五輪だったかなと思います。自分の思い描いていたような滑りはできなかったですが、その辺はもっともっと自分の中で受け入れて、いろいろと向き合っていきたいです。
初出場となった2014年ソチ五輪のパシュートは4位。1500メートルでは32位に沈んだ。世界との差を痛感しながらも、平昌五輪でパシュートとマススタートの2種目で金メダル。北京五輪もパシュートで銀、ソチ五輪で歯が立たなかった1500メートルでも8位入賞を果たした。何一つ後悔がないというのはウソになる。ただ、何度も壁を乗り越えてきたのは紛れもない事実だ。
菜那 これからしっかりスケートと向き合ってあげたい。今は向き合えるタイミングというか、心もそこまで落ち着いているわけじゃないけど、私のスケート人生に無駄なものはなかったと思います。つらいこともうれしかったことも含めて、しっかり消化してあげないとスケート人生が私の中で輝くものにならなくなってしまうと思うので、これからしっかりと時間をかけて、色をつけていってあげたいと思います。
集大成と位置付けて挑んだ21~22年シーズン。最後の五輪と覚悟を決めて北京の地に足を踏み入れた。理想通りの結果を残すことはできなかった。それでも、最後まであきらめずに戦い抜いた姿は決して色あせることはない。
(敬称略)
☆たかぎ・なな 1992年7月2日生まれ。北海道出身。兄の影響で小学校1年からスケートを始める。高校卒業後、日本電産サンキョーに入社し、2014年ソチ五輪に出場。18年平昌五輪では、団体追い抜き(パシュート)とマススタートで金メダルを獲得。夏季を含めた五輪の同一大会で日本女子初の2冠に輝き、紫綬褒章を受章した。北京五輪は1500メートルで8位入賞、パシュートで銀メダル。4月に現役引退を表明し、現在はテレビ出演など幅広い分野で活躍している。155センチ。












