〝令和の怪物〟がついに覚醒した。体重無差別で柔道日本一を争う全日本選手権(29日、日本武道館)の決勝で、五輪2連覇の故斉藤仁さん(享年54)の次男・斉藤立(20=国士舘大)が、世界王者の影浦心(26=日本中央競馬会)を延長戦の末に下して初優勝。1988年大会を制した父・仁さんとの父子Vは史上初の快挙だ20歳1か月は大会史上3位の年少記録。父が3度も阻まれた決勝の壁を乗り越えた。日本一の座をたぐり寄せた裏には、父から子へ受け継がれた〝遺産〟があった――。


 まるで仁さんが背中を押しているようだった。影浦との決勝戦は、試合開始から10分以上が経過しても決着がつかない。今大会4度目の延長戦を戦う斉藤の心は折れかけた。そんな時、頭に浮かんだのはお世話になってきた人たちの顔だった。「負けた時に自分の関係者、親族、いろんな人が悲しむ姿を見たくなかった。死んでも勝ってやろうと思った」。仁さんも満身創痍で挑んだ1988年ソウル五輪で金メダルを獲得。日本勢で唯一、頂点に立った。土壇場での勝利への執念は、父子で全く変わらなかった。

 仁さんが全日本選手権初Vを達成した88年大会は、斉藤の心に深く刻まれている。仁さんが他界後に初めて見た優勝決定時の映像に衝撃を受けた。「執念という言葉が表れているような試合だった」。偉大な父は、斉藤に持っているものをできる限り伝授した。自身の若いころは裏投げ頼みだった反省から内股、体落とし、寝技など細かい技術を1個ずつ丁寧に指導。今では柔道関係者から「お父さんよりも、はるかに技は豊富ですよ」との声も飛び出すほどだ。

 息を引き取る直前まで、仁さんは息子の様子を心配していた。仁さんと親交が深かった全日本柔道連盟の関係者はこう明かす。

「お見舞いに行った時は、もう薬などの影響でなかなか普通に会話できない状態だったけど、立の試合の話をしたら、意識がもうろうとしているはずなのにムクッと起き上がって、クリアな言葉でいろんな話をしたんですよ。『この間も病室で打ち込みさせましたわー』とかね。でも、話し終わったらまたバタッと倒れたからね。これはすごかったですよ」

 34年前の仁さんと肩を並べても、喜ぶ姿はほとんど見せなかった。世界で活躍できる選手になってほしい――。父の願いが、斉藤の胸の中にあるからだ。「(もし、生きていたら)握手してから、課題の部分を言われると思う。自分の前ではすごい厳しいので、褒められることはないと思う」。冷静さを保っていたからこそ、天国からの〝愛のムチ〟に思いを巡らせた。

 日本の頂点を勝ち取った。次なる舞台は10月の世界選手権(タシケント)だ。100キロ超級代表に初めて選ばれ「自分はまだまだ全盛期じゃない。これからの選手なので、パリ五輪にしっかりピークを持っていきたい」。見据える先にあるのは、パリ五輪で金メダルを獲得した自身の姿だ。

 かつては「お家芸」と言われた最重量級だが、五輪では2008年北京大会の石井慧を最後に3大会連続で金メダルから遠ざかっている。「五輪で勝てていないので、まだまだお父さんに並べていない。父のような柔道を目指したい」。目指すべき道は見えている。あとは一心不乱に駆け上がるのみだ。