【取材のウラ側 現場ノート】誰からも愛されるキャラだった。新日本プロレスの野人・中西学(52)の引退発表により、マット界には衝撃が走った。縁の深い選手たちからねぎらいの言葉が送られる一方で、誰もが口にするのが中西の仰天エピソードだ。本人は至って真面目だが、万人の目には不可解な行動ばかり。笑いあり、下ネタありの「野人伝説」を公開――。

 愛称は「野人」。食卓の隅から隅までズラリと並べられた料理を朝からペロリと平らげる大食漢。ぶっきらぼうで雑な口調。中西といえばがさつなイメージが強いが、実はピュアで律義な男だ。

 中西はアトランタ五輪前年の1995年に単身渡米。アトランタに本拠があったWCWに参戦し「クロサワ」のリングネームで武者修行に打って出る。当時、アトランタには本紙の支局があり、記者も3か月間現地に滞在し、支局近くのアパートで1人暮らしをしていた中西と楽しい時間を過ごした。

 ある時、アトランタ近郊で開催されているちびっ子レスリング教室を取材に行くことになった。市街地から車で2時間ほどかかるが、中西に何げなく話したところ「ぜひ行きたい」と試合前にもかかわらず、無償で駆けつけてくれた。会場は「五輪レスラーが来た」と大盛り上がり。中西は子供や父兄から引っ張りだこでなかなか帰路に就けず、当日夜の試合に遅れてしまった。

 結局、欠場扱いとなり、中西は穴をあけた罰として数試合干されてしまったという。すぐに謝ったが、中西は「気にせんといて」と恨み言を一切口にしないどころか「子供たちと、ええ時間を過ごさしてもろたわ」と豪快に笑ったあの横顔は今でも忘れられない。

 どんなにむちゃな取材でも決して断らない。恥ずかしいポーズも「しゃーないなあ~」となんだかんだいって必ず応じてくれたが、例外が一度だけある。アトランタ滞在中のこと。現地に人間と戦うレスリングベアがいて、東スポ記者の宿命として中西との対戦を思い立った。当時、中西は電子レンジを欲しがっており「電子レンジ買ってあげるから熊と戦ってよ。東スポの1面、間違いないから」と猛プッシュしたが、「電子レンジごときで熊と戦えるか!」。そりゃそうだよね。でも野人VS熊、見たかったなあ~。

(楠崎弘樹)