新日本プロレスと全日本プロレスの老舗2団体が〝プロレス・格闘技の聖地〟で邂逅(かいこう)する。東京・文京区の後楽園ホールが60周年を記念して初開催するプロレス興行「還暦祭」(4月15、16日)2日日の一部対戦カードが判明。両団体の交流戦が行われることがわかった。新日本との6人タッグ戦が組まれた全日本の〝暴走専務〟こと諏訪魔(45)は決戦への意気込みとともに、2004年にデビューした同会場への思いを語った。

 1962年4月16日に「後楽園ジムナジアム」の名称でオープンした後楽園ホールが、節目を機に初開催するプロレス興行。2デイズ初日(4月日)は「女子プロレス・ドリームフェスティバル」で、2日目は「50周年・新日本プロレス+全日本プロレス」とのタイトル通り、ともに旗揚げ50周年イヤーを迎えた両団体の選手が出場する。

 諏訪魔は芦野祥太郎、田村男児と組み、新日本の後藤洋央紀、YOSHI―HASHI、YOH組との6人タッグマッチが決定。諏訪魔&芦野の世界タッグ王者と、IWGPタッグ王座を保持する後藤洋央紀&YOSHI―HASHIの注目対決となる。

 諏訪魔は「すごい歴史的なことだよね。俺が全日本、世界タッグにこだわっているように、向こうも同じくらい思い入れがあると思う。思い入れと思い入れのぶつかり合いになるな。ぜひ両団体のタッグベルトが向かい合う景色を実現させたいから、IWGPタッグベルトを持ってきてほしい」と語った。

 後楽園は酸いも甘いも経験した会場だ。2004年10月11日に馳浩を相手にデビュー。「お客さんが温かく応援してくれたのを覚えてる。気分が乗ってくる空間をつくってくれた」と振り返る。棚橋弘至との死闘を制した08年4月9日のチャンピオン・カーニバル優勝決定戦など、節目節目の試合が行われた舞台が後楽園ホールだった。

 特に印象に残るのは、デビューして間もない05年1月2日だ。当時、横浜市内の道場で寝泊まりしていた諏訪魔は寝坊し、正午開始の新年最初の興行に大遅刻。後楽園ホールに到着するや先輩に激怒され、会場の片隅でスクワット1000回を義務づけられた。そのままタッグ戦をこなし、新春恒例のバトルロイヤルに出場。見事に優勝を果たした。「もうヘロヘロだった。苦い思い出だね」

 さらに「ざんげ」を込めて振り返るのが、10年9月10日大会だ。試合後のリング上でファンからの厳しいヤジにキレた諏訪魔は、手にしたマイクを客席に投げ捨てる暴挙に出た。「俺のことはいいんだけど、周りの選手に文句言ってる客がいたからムカついてしまって。たまたま当たらなくて良かったけど…剛速球で投げたからね」

 許されない行為ではあるものの、このころから暴れっぷりが定着したのは事実。〝暴走男〟の原点も後楽園だった。

「佐々木(健介)さんとの試合でラリアートを何発も食らってアゴを骨折したこともあったし、秋山準との試合でアキレス腱も切ったな。なんか覚えているのは嫌な思い出ばかりだな(笑い)」

 一方、プロレスラー諏訪魔を成長させてくれたのも聖地だった。「後楽園の試合って難しいんだよ。一番、目が肥えた人が見に来てくれる会場だし、まず後楽園で評価されないと全国に広がらないから。だから後楽園で試合を成立させ、お客さんを納得させるレスラーは本当にすごい。俺はまだまだ、その域に達してないから」と語り、さらなる精進を誓った。

 この他、同大会では内藤哲也、鷹木信悟、高橋ヒロム、BUSHIの「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」が、真壁刀義、本間朋晃、青柳優馬、青柳亮生組との8人タッグ戦が決定。今後、どんなカードが決まるのか注目だ。