【プロレスPLAYBACK(2014年2月11日)】W―1チャンピオンシップを保持するノアの中嶋勝彦が、12日のW―1後楽園大会で芦野祥太郎を退け、初防衛戦に成功した。また全日本プロレスの3冠ヘビー級王者・宮原健斗は11日の後楽園大会で青柳優馬を下し、川田利明が持つ同王座の最多連続防衛記録「V10」に並んだ。

 断るまでもなく現在のプロレス界のトップを支える2人は佐々木健介の弟子である。15歳でプロレスデビューした中嶋はWJ崩壊後、健介と鬼嫁・北斗晶に追従。健介オフィスでは「健介一家の長男」と呼ばれた。一方の宮原は2007年に同オフィスに入門した。

 6年前の14年2月11日ダイヤモンドリング(健介オフィス)後楽園大会。中嶋は初めて健介に勝ち「父親超え」を果たすと、直後に健介はリング上でマイクを握った。その口から発せられた予想外の言葉に、会場の誰もが絶句した。

「健介はメインで愛弟子の中嶋と7年ぶり2度目の一騎打ち。激闘の末に原爆固めで初めて3カウントを許した。健介は中嶋の成長をたたえると『皆さん、この28年間、佐々木健介を応援してくれてありがとうございました』とあいさつ。引退とも受け取れる発言にファンや関係者は驚きを隠せなかった。真意を確認するため本紙は駐車場で直撃。『俺の気持ちは(控室で)会社に伝えた。思い残すことはないよ』と笑顔を見せた。健介オフィス社長でもある愛妻の北斗は『会社として健介ときちんと話してから』とした上で『私もプロレスラーだったので、言えるのは辞める時は自分で決めること。それが佐々木健介の生き方ならそうなる』と話した。健介はリング上で最終決断をしたと見られ、スタッフは大混乱に陥ったが、近日中にも会見を開き、引退を正式発表する見込みだ」(抜粋)

 健介と北斗は2日後に晴れ晴れとした表情で会見を行い、中嶋に敗れたことが引退理由と説明。「負けた時にめちゃくちゃうれしかった。うれしいという言葉が頭をよぎった時に佐々木健介というプロレスラーは終わったと思った」と語った。中嶋は当時を「何年もかけて大きな壁を越えた瞬間、その壁が消えてしまった。目標がなくなってしまって途方に暮れた」と振り返る。師匠なりの最後の試練だったのだろう。

 健介は引退試合を行うこともなく、潔くプロレス界から撤退して芸能界で活躍中だ。あれから6年。当時は20代だった弟子2人が、現役最後の試合と同じ日とその翌日に、別々のリングで王者として防衛戦を行った。やはり「一家」は運命の糸で結ばれていると感じざるを得ない。