【久保康生 魔改造の手腕(30)】2011年に阪神を退団し、翌12年は米球界でコーチングを勉強しようともくろんでいました。ところが思ったように事が運ばず断念。そこで、韓国球界での指導という方向へ一気にかじを切りました。
阪神を退団した直後からKBO・斗山ベアーズには熱心にオファーをいただいていました。2月はアリゾナキャンプの視察をし、水面下で米球界と接触。5月途中までアメリカにいた状態から帰国して、6月には韓国ですからバタバタです。
正式な契約書を交わすこともなく、条件を聞いただけで現地に入りました。同行してくれた妻と、飛行機の中で「現地のホテルはどこやった? あれはどう? これはどう?」と話しましたが、ほとんど何も決まっていないような状態で初めて韓国の土を踏みました。
「空港に球団代表が迎えに行きます」とは聞いてはいましたが、その方の顔も分かりません。それでも「ゲートを出てくれれば、こっちは久保さんのことを分かっていますから大丈夫」と言われ金浦空港に降り立ちました。すると、ちゃんと待ってくれていました。
空港から車に乗せられ、これからホテルにチェックインかなと思ったら、そのまま車は1時間ほどかけて二軍のグラウンドへ移動。妻も同行したまま現場へ到着しました。
そこから二軍スタッフにあいさつを済ませ、ようやくホテルにチェックイン。翌日は何時に迎えに来ますと伝えられ、契約などの話に関して触れることもなく帰っていってしまいました。
さて、翌日からはコーチとして始動するわけですが、妻を一人ホテルに残して出勤です。現地に知り合いがいるわけでもなく観光に出るわけにもいきません。
阪神なら外国人選手の家族に対しては、渉外担当の方々が気を使ってお世話してくれるところですが、こっちからそれを求めるわけにもいきませんしね。
私はグラウンドでコーチング、妻は日本で用事のある時には帰国してという生活が始まりました。
まず、顔と名前を一致させるところから始めました。韓国の方々は日本に比べると名字の種類が少なく、下の名前で呼ぶ機会が多くなります。必死で覚えようとするのですが、文字も読めないしこれが難しいんです。
そんな時に私を助けてくれたのは趙成珉(チョ・ソンミン)でした。巨人でも活躍した右腕で1998年にはオールスターにも選ばれた人気選手でした。本当に流ちょうな日本語でいろんなお世話をしてくれました。
実は私が97年に引退しコーチになった直後、ハワイ・ウインターリーグで巨人の派遣選手として参加していて、顔見知りだったんです。ソンミンが手帳に日本語でいう五十音にあたる、ハングルを教えてくれて非常に助かりました。
野球の指導が始まれば、私はそちらに集中しなければなりません。二軍から視察して、少し技術的に問題のある投手から順番に指導させてもらいました。
私は全体を見渡して殿(しんがり)の選手は誰だろうと探します。つまり、最も立場の厳しい選手です。その選手は必ず心の中で、チーム内での自分の立ち位置を自覚しています。
プロの世界は厳しいものです。実力が伴わなければ、来年はここにいないかもしれない。でも、何とかしたい。この状況から脱却したい。以前にも書きましたが、心の底からの渇望が成長への最大のエネルギーなんです。
98年から04年まで近鉄で、05年から11年まで阪神で培ったコーチングの術を韓国の若い選手たちに注ぎ込みました。言葉は通じませんが、心は通じます。必死に求めてくれる選手には、必死で応えさせてもらいました。
☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。












