【久保康生 魔改造の手腕(19)】現役引退後、そのまま1998年から2004年まで近鉄で一、二軍の投手コーチを任せていただきました。ですが、予想もしなかった事態が起こりました。近鉄とオリックスとの合併です。愛着のあった球団は消滅してしまいました。
実は03年に星野仙一監督率いる阪神が18年ぶりのリーグ優勝を飾り、電撃的に退任されたとき、私は次期監督となる岡田彰布さんから阪神へお誘いをいただいていました。
ですが、そのタイミングでは動くわけにはいきませんでした。近鉄最後のシーズンとなってしまった04年も梨田昌孝監督の下、コーチとしてお世話になっていました。ただ、その秋に改めて岡田監督から阪神入りのオファーを受けご縁をいただきました。
投手に関することは全面的に私に任せてくれましたし、岡田監督のおっしゃった構想もすんなり理解できました。そして、05年にはほぼ思った通りのいい投手陣を形成することができました。
前年までセットアッパーだった安藤優也の先発転向。これだけは岡田監督の要望で取り組みました。しかし、そのほかの投手に関しての起用法などで、岡田監督と議論になったりということはまずありませんでした。
前年、守護神だったジェフ・ウィリアムスのセットアッパー転向の件もそうだし、藤川球児の中継ぎ起用についてもそう、久保田を抑えで使う件に関しても考えを岡田監督は受け入れてくださいました。
05年の岡田阪神が編み出した「JFK」はスムーズに生まれました。
当時の藤川に私はこう声をかけたのを今でも覚えています。
「何でこんなに成績が悪いの? ものすごくいいピッチャーなのに何でここまで成績が悪いの。まともに働けていないよな」
当時の続木敏之トレーニングコーチに聞くと「先発でいい投球が続いて、長いイニングを任せるとコンディションを崩す傾向にある」ということでした。
はい、それじゃ簡単なことだ。独断でしたが、先発をさせなければいいと決めました。来年(05年)から絶対に私は藤川を先発では起用しないと断言しました。
その代わり中継ぎで1イニングを毎日投げる体をつくるように言いました。それを1年間、1シーズン通して140試合できるくらいの気持ちで準備してほしいと。
ウィリアムスにはキャンプ前日に渉外担当の三宅徹さんと部屋に呼び出して「今シーズンはジョーカーになってほしい。困ったところで、どのイニングでも切り札になってほしい」と話をしました。
その場で三宅さんにも契約上の問題(クローザー起用の確約など)はないかも確認したところ、なかった。前シーズンの守護神という自負もあったでしょうが、本人も「すごくいいアイデアだ、俺はそこで働きたい」と同意してくれました。
当然、ジェフはクローザーを誰で考えているかも聞いてきました。表情を変えず武骨で、豪球の持ち主の久保田智之だと明かすともうひと言。「経験の浅い藤川と久保田を俺が全力でサポートする」と言ってくれました。
ジェフのおかげで「JFK」はうまく滑り出した。頭もいいしね。本当に日本人のような、いや日本人以上の精神を持った仲間でした。今でも駐米スカウトとして阪神を支えてくれていますもんね。
05年はオープン戦、シーズンといいスタートを切ることができました。7回の藤川がハマりました。
シーズン途中、岡田監督が「藤川を潰さないで大事に使えよ」と指示されたことがありました。この瞬間、監督が藤川球児を認めたと実感しました。
☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。












