2002年11月1日、松井秀喜が笑顔なきメジャー挑戦会見で「裏切り者」発言 その真意を語る単独インタビューを全公開

2020年07月07日 11時00分

思いつめた表情で移籍表明会見に臨んだ松井(2002年11月1日)

【球界平成裏面史(68) 松井FA後編】平成14年(2002年)11月1日午前10時、帝国ホテルの会見場はテレビカメラ20台、カメラマン50人、300人を超える記者が詰めかけた。ダークグレーのスーツに身を包んだ松井秀喜が姿を見せると無数のフラッシュが浴びせられた。表情は緊張して硬いというより、悲しそうに見えた。


「私、松井秀喜は今年取得しましたフリーエージェントの権利を行使して、来季よりアメリカ、メジャーリーグでプレーすることを望み、その道を選びました」

 松井は言葉を選びながら思いを吐き出した。

「一緒に戦ってきたチームメートにも大変心苦しい思いでいっぱいです。僕のわがままを許してくれるか分かりませんが、決断した以上は命を懸けて頑張りたいと思っています」

 質疑応答でファンへの思いを聞かれると「今は何を言っても裏切り者と思われるかもしれませんが」と衝撃の単語が飛び出した。常にファンを大事にしてきた松井らしいともいえるが、残留を説得されるなかで厳しい言葉を浴びせられたのではと想像した。

 約40分で会見は終了したが松井は最後まで笑顔を見せなかった。なぜ、裏切り者という言葉を使ったのか。本心を聞きたかった記者は午後1時すぎにダメもとで松井の携帯にかけてみた。すると予想に反して「もしもし…」の声が。

「アレっ」

「アレじゃないでしょう。電話してきて」

「まさか出てくれるとは思わなかったから」

 本紙2日発行の1面で単独インタビューとして報じたが、松井の発言を全て掲載したわけではない。今回は全文を公開する。

 ――電光石火の決断だった。なぜ、10月31日だったのか

 松井:自分なりに早く決着をつけようと思っていた。(メジャーでやるという)結論は出ていたからね。ファンの人を結果的に裏切ったと思うけれど、ズルズル引き延ばすと球団に迷惑をかけることになるし、ケジメをつけたかった。

 ――FA宣言してスッキリしたか

 松井:スッキリはしていないよ。肩の荷が下りたというのはあるけれど(移籍球団が)決まったわけではないからね。ようやくスタートできるということ。スッキリするのは全部決まってからだね。

 ――会見では表情が暗く、とうとう最後まで笑顔が見られなかったのは精神的に吹っ切れていないのでは

 松井:そりゃ明るい表情はできないでしょう。もちろん(権利を)行使するのは悪いことではないけれど、みんな残留を期待していたわけだからね。

 ――日本シリーズはノーアーチだったが、影響はあったのか

 松井:それはない。日本一に集中していた。

 ――(前日会った)長嶋さんの様子は

 松井:何とも言えない寂しそうな表情で見ていてつらかった。

 ――球団内からは日本一ムードに水を差したという冷たい声も出ているが…

 松井:そう思われても仕方ない。「ここまで育てたのに恩知らず」という気持ちはあるでしょう。裏切り者に近いかもね。それはある程度、覚悟はしていた。

 ――裏切り者は違うと思う。そういう雰囲気の中で優勝パレードや優勝パーティーに出席しにくい?

 松井:まだ(球団から)何も話はない。イヤがる人もいるだろうね。やっぱりボクの顔を見たらいい気持ちはしないでしょう。出たいけど無理かもしれない。でも選手へのあいさつは納会もあるし…。

 ――日米野球や出身地別東西対抗は出場するのか

 松井:球団と連絡を取らないと分からない。巨人のユニホームを着て出るわけだから球団の了承が必要。そこで球団がどういう答えを出すかでしょう。「出ろ」と言われれば喜んで出ますよ。

 ――自分の選んだ道を進むことはわがままではない。ファンも同じだと思う

 松井:球団やファンの期待を裏切ったのだからわがままでしょう。やっぱり。

 ――球団は難しいと言っていたが、将来、巨人に戻る可能性はあるか

 松井:中途半端では(メジャーで)通用しないからね。将来的にはあるかもしれないし、ないかもしれない。ボクの気持ちより球団が許してくれることが前提。

 ――例えば阪神は

 松井:面白いけど、今は考えてないし、軽々しく言えることではない。

 ――メジャーに行けば連続試合出場は難しくなるが

 松井:それは残念だよ。こだわってきたわけだから。

 ――目指すは日米の本塁打王か


 松井:メジャーでやる以上、ヒットではなく本塁打を狙うつもり。当然、(本塁打王は)狙うよ。メジャーに行っても頑張るから東スポも東スポ読者も松井秀喜を応援してほしい。

 松井の声は最後まで沈んでいた。

 もっとも、松井が抱えた不安は杞憂だった。4日に銀座で行われた日本一パレードでは集まった40万人のファンから大声援を浴びた。巨人のユニホームを着た最後の行事となった23日の「ジャイアンツ・ファンフェスタ2002」ではイベント終了後、5万5000人の悲鳴のような大“マツイ”コールが東京ドームを包んだ。万感の思いで背番号55は海を渡った。 

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