【球界平成裏面史(10)、落合・清原移籍騒動の巻(2)】平成8年(1996年)11月、FA宣言した清原との交渉中、巨人の球団幹部が落合を解雇すると伝えたことが発覚した。大騒ぎになると巨人は一転、深谷代表が「落合は残留」と発表する。が、落合は怒り心頭。信子夫人、長男、愛犬と静岡・川根温泉に滞在中、記者たちにこうぶちまけた。

「おかしなもんだよな。最初はクビで次は残留。(FAで)来るときには散々いいことを言って、手のひらを返したようにポイか。フロントの誰かの責任問題だ、これは」

 落合を気遣う長嶋監督についても「今会ってもしょうがないよ」とピシャリ。「たとえ社長(渡辺・読売新聞社社長)に会っても同じ。どうせ言い訳を聞くだけだろうしな」と斬って捨てた。

 当時は今ほどネットが発達しておらず、川根町は携帯電話各社の電波が届かない地域だった。ワイドショーや週刊誌には落合が取材拒否。巨人関係者は落合発言を制止しようにも連絡するすべがなく、毎日スポーツ紙を読むほかなかった。

 そんな中、いくら事態がこじれても、長嶋監督はいつもの調子だった。

「落合には昨日もおとといも電話を入れたけど、今は親子で温泉ということなんでね。連絡がついた時点で、サシでゆっくり話をするつもりですよ」。そう言って「こんなことはこの世界じゃ日常茶飯事なんだけどね」とサラリ。さらに、系列紙のインタビューには、自分の永久欠番3を清原に譲る構想まで披露した。

「清原が3を欲しがっても目くじらを立てることはありませんよ。松井とコンビを組むんならもろ手を挙げてという気持ち」

 こうして11月20日に清原との直接交渉に臨むと「思い切ってボクの胸に飛び込んで」という殺し文句が飛び出した。この日は深谷代表も85年の“運命のドラフト”で清原を裏切ったことを謝罪。条件も3年契約・年俸3億4000万円(推定)に上がり、清原の巨人入りが決まった。

 同月24日、入団会見の当日、渡辺社長は清原を社長室に招き入れて花束を贈呈。「巨人軍の将来を担ってくれよ」と終身雇用までにおわせている。

 そして、その翌25日、渡辺社長は落合への怒りを爆発させたのである。

「オレは2回(落合に)電話してるんだ。オレのおふくろの通夜の最中、至急電話をくれと(ファクス用紙に)電話番号も入れて。それが、きょうに至るまで電話もひと言の返事もないんだ。礼儀正しい態度じゃない」

 川根町での発言についても「あれだけ余計なおしゃべりをしてどう始末するのか」と一刀両断。

「取り消してもらわんといかん。フロントのクビを飛ばすとか、余計なお世話だ」と言い切った。

 最後は長嶋監督が落合に直接引導を渡すことになる。が、落合もただでは引き下がらなかった。

(赤坂英一)