【気になるアノ人を追跡調査!!野球探偵の備忘録】今年の夏の甲子園では、881球を投じて決勝で力尽きた金足農・吉田輝星投手(3年)が注目を集めたが、607球を投じてベスト4で散った済美の山口直哉投手(3年)も話題となった。同校は鵜久森淳志(ヤクルト)や福井優也(広島)、安楽智大(楽天)らをプロに輩出した強豪校で、そんな済美野球部OBには、意外な世界で活躍する2人がいる。お笑いコンビ「ティモンディ」の前田裕太(26)と高岸宏行(25)が、済美野球部の“秘密”を明かした。

 名門野球部の高校球児からお笑い芸人へ。異色の経歴を持つティモンディの2人だが、事務所の先輩にはサンドウィッチマンや永野、カミナリら多くの実力派芸人が揃うなど、次代の活躍に期待がかかる若手コンビだ。

 2人は済美野球部の同級生で「入寮して最初の晩に話したのが前田なんです。それからずっと仲良しで」(高岸)、「3年間一緒に生活してきましたからね。もう家族同然ですよ」(前田)と、先輩のサンドウィッチマンさながらのコンビ仲の良さを披露した。

 ともに甲子園の舞台を目指してきた2人だが、3年夏は「地方大会の決勝でサヨナラ負け。練習試合では5戦全勝していた相手だったので苦手意識はなかったのですが…」(前田)、「今でも悔しさは忘れられないですよ」(高岸)と、残念ながら「あと一歩」のところで涙をのんだ。

 済美といえば、埼玉・浦和学院とともに「日本一練習が厳しい野球部」とも言われる。前田は「浦和学院は運動力学にのっとったメニューで厳しいことが有名ですが、済美は昔ながらの根性論のメニューで厳しい、といった感じですかね」。その地獄メニューの生みの親こそ、名将として知られ、2014年に亡くなった上甲正典監督(享年67)だ。

 数々の逸話を残した上甲監督だが、こんなこともあったという。「西条の秋山(現阪神)対策として、監督さんが打撃マシンの速度を200キロに設定したんです。速球に慣れるために、僕らはマシンから10メートルと近い距離に整列してその速球をただただジーッと観察。でも、超速球に見慣れてしまったので、初戦に対戦した投手の130キロの直球すらめちゃくちゃ遅く感じてしまって…逆にまったく打てなくなってしまった(笑い)」(前田)。5回までまさかの無安打で、あわや初戦敗退の危機に陥ったという。

“上甲流”の練習法では、こんなことも…。

「監督さんはサウナが好きなので、公式戦の前日には投手陣を連れてサウナへ行き、裸でシャドーピッチングなどをさせるんです。『いい投手は投げたときに“モノ”がバチーンッとなるんだ!』と、下半身を指導されて…」(高岸)

 そんな名伯楽のもと、早朝から夜11時半まで連日厳しい練習に明け暮れた。前田は「監督さんの言葉に『常に全力で』というものがあるんです。校内で監督さんや先生を見かけたら、どんなに遠くからでも大声であいさつしたり。はたから見たら変なヤツかもしれませんが、芸人になった今でも名前を呼ばれたらすぐに反応できる。ささいなことですが、大事なことだと思うんです」。高岸も「3年間の厳しい練習を乗り越えてきたと思うと、不思議と今のお笑いの生活で苦しいと思ったことはないんです。毎日が楽しくて仕方なくて。あのころの経験があったから今の自分がいるんだな、と」。

 それでも、上甲監督の思い出を振り返るうちに感極まったのか、高岸の目からは「すみません…」と思わず涙が。すかさず前田から「いや、何で泣くんだよ! それは売れてから思い出して泣くところだよ!」と鋭いツッコミが入った。

 そんな2人の目標は、ともに第2の故郷・愛媛への恩返しだ。前田は「愛媛でいつか単独ライブをしたいんです。愛媛出身の芸人さんといえば友近さん、と言うイメージがあるので、自分たちもそう思われるような存在になりたいんです」。高岸は「愛媛の高校野球の試合で始球式ができれば。当時は自分も愛媛で名の知れた投手だったので、芸人として売れてから『投手・高岸』と『芸人・高岸』の対決を皆さんにお見せできれば!」とニヤリ。すかさず相方からは「いや、意味がわからないよ!」と再びツッコミが入った。

 まだまだ賞レースでは結果が出ていない2人だが、マイクを前にした大舞台が、今の2人の「甲子園」だ。

 ☆たかぎし・ひろゆき 1992年10月8日生まれ。京都府出身。済美―東洋大。投手として球速はMAX147キロ。高校時にプロからも誘いはあったが、大学に進学するも故障で野球を断念した。185センチ、78キロ。ツッコミ担当。

 ☆まえだ・ゆうた 1992年8月25日生まれ。神奈川県出身。済美―駒大―明大法科大学院中退。3年夏は一塁コーチとしてチームを支えた。175センチ、68キロ。ボケ担当。2015年に高岸とお笑いコンビ「ティモンディ」を結成。グレープカンパニー所属。