【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】2019年10月9日、ナ・リーグの地区シリーズでドジャースを下し、クラブハウスでのシャンパンファイトを終え、シャワーを浴びてから楽しさ全開で身支度するナショナルズのフェルナンド・ロドニーの姿は、過去に何度も見てきたポストシーズンの光景の中でも一番強烈な印象として残っている。

 半裸で鼻歌を歌い、爆音のラテンミュージックに合わせてお尻をフリフリ。自分のロッカーの棚に置いた小さな手鏡を見ながら、5本ほど並べられた香水に手を伸ばす。一つは手首にこすり、別のものを頭や首あたりにプシュッとやる。順に下へと下りていき、上半身が済んだら、へその下にもプシュッとやった。

 リズミカルに腰を振り続けたまま「いろんな香りが好きなんだよね」。つい数年前に300セーブしたら引退すると話していたことを問いただすと「やっぱり辞められないわ」とニヤリ。野球をしている人にしか分からない達成感をほんの少しなでられたような、目の前にいるのに雲の上の存在を見ているような感覚を同時に味わった。

 シャンパンファイトで思い出すのが、ツンと鼻と目を刺激する強烈なシャンパンの残り香。ビールと汗も混ざった匂いは何とも表現しにくく、何しろ目に入ると痛い。取材する側として貴重な経験だと思えるのは最初の1、2度くらいで、すぐにシャワーを浴びられる選手と違い、家に帰るまで体中がベタベタするので「もう嫌」と思うのだが、今年のように禁止されてしまうと何だか恋しい。ドジャースのクラブハウスで働く知人に聞いたら「今年は何だか違うね。勝利後はクラブハウスでビール1本飲む感じ。片付けがないから楽だけどね」と話していた。

 ドジャースの場合、プレーオフで各シリーズを勝ち進むたびに用意されるシャンパンは約220本。ビール864本。優勝しそうな時は8回表ぐらいでロッカー中にビニールを張り巡らせ、できる限り選手の私物にかからないようにする。それでも本番では床の一部がアルコールのプールと化し、カーペットは清掃業者に一晩中かけて吸い取ってもらっても、天井などに飛び散ったアルコールの痕はなかなか取れず、1年が経過しても残るらしい。

 そもそも大リーグでいつから始まった習慣なのだろう。気になって調べたら、意外にも正確なことは誰にも分からないらしい。

 数年前のESPNの記事で、野球の殿堂図書館まで行って調べたものがあり、どうやら1940年代のプレーオフ中からシャンパンでの祝杯はされていたようだ。スプレーのようにまかれたのはミルウォーキー・ブレーブスが優勝した57年が最初で、60年にパイレーツのビル・マゼロスキーがワールドシリーズ第7戦でサヨナラ本塁打を放った時に定着したのではないかという説が有力という。年々エスカレートし、86年にメッツのボブ・オヘーダ投手が最初にゴーグルを着用、2004年のレッドソックスがチームでゴーグルをして定着させたそうだ。

 驚いたのは、大リーグが実は選手1人につきシャンパン2本、フィールドやスタンドではまいてはならないと取り決めているらしいこと。私の初めてのシャンパンファイト取材は07年レッドソックス地区優勝のフィールドの上だった。あの年、万全に準備したつもりで足元のことに全く気づかず、お気に入りの革靴をダメにした記憶もある。

 今年は100円均一の雨がっぱも、洗えるフラットシューズも出番なし。地元チームが勝ち進んでも球場に行かない不思議なシーズン。家からオンライン取材ができて帰りの運転もないから、ワールドシリーズが終わった時にちょっといいシャンパンを開けようかな。