新たな歴史が刻まれた。バスケットボール女子決勝(8日、さいたまスーパーアリーナ)、日本は米国に75―90で敗れたが、男女を通じて同競技初の表彰台となる銀メダルを獲得した。大会前にはエースの渡嘉敷来夢(ENEOS)がケガでメンバーから外れたものの、主将・高田真希(31=デンソー)を中心に一丸となったアカツキファイブは強豪国を次々に撃破。快進撃を支えた主将の〝成長物語〟を中学校時代の恩師が本紙に明かした。
絶対女王の前に屈したが、最後まで全力で戦い抜いた。1クオーター(Q)にいきなり14―23と9点差をつけられながらも、第2Qに一時は6点差まで迫った。その後は米国の強力攻撃陣を抑えることができずに突き放され、惜しくも頂点には届かなかったものの、試合後には日の丸を手に全員で記念撮影。高田は「楽しかった。連日のご声援のおかげでここまで来られたと思うし、つらい練習を乗り越えた結果だと思う」と振り返った。
大躍進の原動力となった高田は、かつてバスケットボールよりも空手で名をはせていた。自宅前に空手道場ができたことがきっかけで、小学校4年から空手をスタート。全国規模の大会で優勝を果たすほどの実力者だったが「背が高いから」との理由でバスケットボール部に勧誘され、空手と並行して始めた。
中学時代も空手とバスケットボールを両立。当時の高田をよく知る中学時代の恩師で、豊橋バスケットボール協会の河野直会長は「最初見た時はとにかく大きかった。体格がよかった。中学1年生で170センチ後半ぐらいはあった」。まさにバスケットボール向きと言える長身ながら「技術的にはそんなに上のレベルではなかった」という。ただ「けっこう素早さがあった。空手をやっていたからかもしれないが、体幹がしっかりしていた。ゴール下で(体を)当てられたりしてもグラグラしないし、ルーズボール(こぼれ球)を取る時にも素早い動きができていた」と明かす。
中学レベルでは通用するが、トップレベルでは厳しいとの見解。そのため、バスケットボールの名門・桜花学園(愛知)の井上眞一コーチからの勧誘も「ちょっとレベルの差がありすぎないか?」と伝えたが「素質というか、体幹の強さだとか、そういう能力を見てぜひ欲しいとのことだったので」と強豪の門をたたくことになった。
高田にとっては、高校での3年間が大きな転機になった。河野会長によると「1年の時に気の合うというか、そういう先輩を捕まえて、練習後に特訓をしていた。ステップやドリブルなど、本当に基礎の基礎から差があったので、そういったところを熱心に教えてもらっていたみたい」。恵まれた体格だけでなく、基礎力も身に付けた高田は大きく飛躍。インターハイ優勝などに貢献し、卒業後はWリーグのデンソーに加入した。
井上コーチは「あそこまで大化けするとは思わなかった」と話しているというが、社会人1年目から日本代表に選出された。河野会長は「やっぱり本人の向上心というのか、うまくなりたいというのか、そういうのが強かったと思う。常にトッププレーヤーと競ってきて、だんだん自信もついてきたんじゃないかな。いろんな経験を踏んで強くなっていったと思う」と褒めたたえた。
日本は五輪4大会に出場してベスト8が過去最高成績だったが、米国出身のトム・ホーバス監督は、2017年の就任時に「東京五輪での金メダル獲得」を公言。選手らに「試合の方が楽」と言わしめる厳しい練習が課してきた。その中でも、頼れる主将がチームをまとめ上げた。「信じてやれば、ここまで来られると証明できた。言霊(ことだま)は大事だなと思う」。自国開催の大一番で確かな爪痕を残したアカツキファイブ。選手たちの首にかけられた銀メダルは最高の輝きを放っていた。










