福田康夫元首相が22日、心不全のため、都内の病院で死去した。90歳だった。高市早苗首相をはじめとして、小泉純一郎元首相や石破茂元首相ら歴代首相から野党幹部まで、多くの政治家から惜しむ声が寄せられた。
福田元首相の父親は福田赳夫元首相。1990年に衆院旧群馬3区で初当選後、2000年の森政権で内閣官房長官を務め、小泉政権でも続投。歴代2位となる3年半にわたり、両首相を支えた。
07年に安倍晋三首相の退陣を受け、総裁選を制し、首相に就任。参院で野党が多数を占めるねじれ国会で、政権運営は苦心し、民主党の小沢一郎代表と大連立構想が実現間近となったが、民主党内の反対でとん挫。08年9月にわずか1年で退陣した。
小沢氏はXで大連立協議を振り返り「その過程で、先生の深い見識と温かいお人柄に触れ、心から感服いたしました。あの時、もし構想が実を結んでいたならば、日本の政治も、そして日本の姿も、また違ったものになっていたかもしれません」と偲んだ。
高市首相はXで「その豊かな経験と卓越した見識をもって、我が国の政治の安定と発展、国民生活の安定に大きな足跡を残されました。ここに生前のご功績を偲び、国家と国民のために捧げられた長年のご尽力に心から感謝申し上げます」と追悼した。
親中派としても知られていた。首相在任中には、中国から胡錦濤国家主席が来日。日本国内で抗議活動が起きるなど、親中派の代表的政治家として保守派から批判されることもあった。永田町関係者は「日中友好を口にすると『媚中派』と批判されることもあるが、文句を言うためには関係性がないといけない。多くの政治家はそれが分かっているし、福田氏もそうでしょう」と指摘。パイプがあるからこそ、日本の主張も伝えられるというわけだ。
一方、首相として最大の脚光を浴びたのが皮肉にも辞任会見で発した一言だった。記者から「福田首相の発言は人ごとにしか聞こえない」と痛烈な質問に対し、「私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです」とピシャリ。上から目線や憲政史上初めて親子2代で首相となったことに伴う選民思想の表れと酷評された。流行語大賞のトップ10入りも果たすインパクトを残したが、授賞式にはもちろん姿を見せることはなかった。
11年に東日本大震災が発生し、菅直人首相の下で、再び大連立の〝救国内閣〟の機運が高まった際には、待望論もあったが、12年に政界引退。その後もアジア各国との外交活動に力を入れていたという。長男の福田達夫衆院議員によれば、亡くなる前日まで仕事の打ち合わせをしていたという。












