〝鉄人〟小橋建太(58)が8日、都内で著書「全日本プロレス90年代外国人列伝―小橋建太が戦った最高の男たち―」(ワニブックス)の発売記念トークショーを開催し、「全日本プロレス道場論」を展開した。

 同書は、小橋が1990年代に全日本のシリーズに参戦した外国人レスラーを紹介。スタン・ハンセン、スティーブ・ウィリアムス、ベイダー、テリー・ゴディら強豪から隠れた実力者、〝いっぱい食わせ者〟選手のエピソードまで、総勢113人を網羅している。8月11日に東京・池袋で行われたトークショーをもとに、ファンも参加する形となった。

 この日のトークショーでは外国人選手たちの逸話を語る一方で、〝練習の虫〟だった小橋らしく「道場」への熱い思いも吐露。「道場というと新日本プロレスはすごく厳しくて、全日本は優しいみたいな感じになっている。新日本の選手が全日本の道場を批判したりとかいうのもあった。そんなことないんだよと。(全日本の)道場はきついものなんだよと、世間に向けても訴えたかったし、出したかった」と語ったように、著書の中でも随所で全日本道場の厳しさを記している。

 小橋が言う通り、創設者の故アントニオ猪木さんから続く新日本道場には数々の伝説が残っているが、全日本道場のエピソードはなかなか表に出てこない。それだけに「僕が道場のリーダーになったとき、簡単についてこられる練習はしなかった。イジメではなく、とにかく新日本の道場に負けない厳しさをアピールしたかったから。(秋山)準にしても大森(隆男)とかも、体がきつかったと思う」と、若手選手には過酷な練習が課されたという。

 中でも若手を苦しめたのは、相撲の稽古から取り入れられた「股割り」だ。小橋も若手時代には開脚ができないと、100キロ以上の選手に背中から最大4人に乗られて「血管が切れて股が紫色になる。あれは苦しかった。みんな股割りができなくて、やめていく人は多かった」と振り返る。

 それは「練習生」「留学生」として道場でトレーニングを積んだカート・ベイヤー、マウナケア・モスマン、リチャード・スリンガーら外国人選手も同じだった。「みんなよく泣いていたね。『苦しい』『きつい』『やめたい』と、みんな言っていた。リチャードもケアも泣いていたけど、ベイヤーが一番泣いていた」と、鉄人流の練習に音を上げることもあったという。

 ベイヤーとは、父親のザ・デストロイヤー追悼興行(2019年)で再会した。小橋の顔を見るなり「先生! 先生!」と懐かしがってくれたといい「すごくうれしかった。『きつい』と泣いてもそこで終わるんじゃなく、それが(リング上で)できるようにする指導は難しい。あとは本人が頑張ってくれた」という鉄人は、〝指導者〟としての一面も見せていた。