ソフトバンクが30日に行われた阪神との「SMBC 日本シリーズ 2025」第5戦(甲子園)に延長11回の末に3―2で競り勝ち、対戦成績4勝1敗で5年ぶりの日本一に輝いた。8回に値千金の同点2ランを放つなど、「1番打者」としてシリーズ打率4割5分5厘をマークして打線をけん引した柳田悠岐外野手(37)が本紙に独占手記を寄せた。7年契約満了後の引退を公言してきた男が、現役続行の意思を初告白。2年連続でケガに泣いた主砲がギータ節をあえて封印し、孫正義オーナー(68)への謝罪も口にした――。

【独占手記】ファンの皆さんの声援に支えられ、5年ぶりに日本一を成し遂げることができた。ポストシーズンに間に合い、最高の瞬間をたのもしい仲間たちと迎えられて本当に幸せだった。

 率直に今季を振り返ると、昨年に続いてケガに泣いたシーズンだった。4月のロッテ戦で右すねに自打球を受けて負傷。強い痛みで、生活することもままならなかっただけに先を見通せなかった。

 最初は一人で歩くことさえできなかった。本当に介護が必要な生活。振り返れば、入院した方がよかったと思うほど。新しくベッドを購入して、家のリビングに置いて行動範囲をできるだけ狭めたりもした。家の中での生活もしばらくは松葉づえが欠かせなかった。今回の「右脛骨(けいこつ)骨挫傷」は、例えればガラスが割れた時に細かいヒビが無数に入るような状態で、完治に時間を要した。負傷する前よりも骨が太くなったが、今はようやく〝自分の足〟が戻ってきた感覚がある。改めてリハビリを支えてくださった方々に心から感謝したい。

 開幕をいい状態で迎えただけに落胆も大きかったが、うまく気持ちを切りかえてトレーニングを再開できた。今までがうまくいきすぎていた――。そんなふうに考えることができたからだ。人生は山あり、谷あり。苦しい時ほど自分が問われると思って生きてきたので、あまり深く考え込まず来季のために頑張ろうと練習に励むことができた。

 それでも「引退」が頭をよぎったのは事実だ。2年連続の長期離脱。これはもう、厳しいな…と思った。自分のパフォーマンスが厳しいとかではなく、レギュラーとして計算できない選手だと思ったからだ。客観的に見て、自分が監督でもそういう見方をする。復帰前に、小久保監督が筑後に来てくださって「代打とかになるかもしれない」と話をしてくださった時も、自分の中で当然そうだろうと思った。一軍に上がって(周東)佑京が欠場することになって、たまたま出番が巡ってきた時はアピールチャンスだと思っていた。代打構想だったのに、たまたま試合に出られた。まだ運があるのかなと思えた。

 ケガも実力のうち。この2年、レギュラーとして働けていない。今季が7年契約の6年目。僕を信頼して大きな契約を結んでもらった経緯がある。だから一番はやっぱり、オーナーへの申し訳ない気持ちでいっぱいだ。孫さんが僕にお金を払ってくださっている。だから、そこへの申し訳なさは特に強い。

 引き際の美学は僕なりにある。バリバリの状態で引退したいと若い時からそう思っていた。2019年オフに7年契約を締結した際、そこで野球人生に区切りをつけると公言した。基本的なスタンスは変わっていない。来年、体は動くと思っている。そこで結果を残すことが前提だが、自分の中で数字に納得し、他者にも認められ、チームに求められる立ち位置にいるのならば、現役を続ける道があるのかなという考えが出てきた。ひょっとしたら40歳くらいまでプレーできるチャンスがあるのかもしれない。ただ、僕はこの2年働けていない。その現実は重い。だから、2026年、僕が自分自身に求めるもの、チームが必要とするもののハードルは高いと思っている。

 今、僕は若い時の気持ちを思い出している。結果を残せなければプロ野球の世界に居場所はない。覚悟もあるが、野球人として強いモチベーションもある。今回の日本一は個人として7度目。何度、味わっても最高だ。バリバリの状態で、また来年も最高峰の舞台に戻ってきたい。

(福岡ソフトバンクホークス外野手)

☆やなぎた・ゆうき 1988年10月9日、広島市生まれ。外野手。37歳。広島商から広島経済大を経て、2010年ドラフト2位で入団。14年に初の規定打席に到達。15年には球団初のトリプルスリーを達成し、首位打者、リーグMVPに輝いた。主軸として長年チームをけん引し、19年にホークスと7年契約を締結。20年には2度目のMVPを獲得し、21年開催の東京五輪では日本代表として金メダルを獲得。昨季は右太もも裏の肉離れ、今季は右脛骨(けいこつ)骨挫傷で長期離脱を余儀なくされたが、9月末に一軍復帰した。身長187センチ、体重90キロ。右投げ左打ち。