〝過激な仕掛け人〟の異名を取った昭和プロレスの重鎮・新間寿さんが、21日に死去した。90歳だった。アントニオ猪木さん(享年79)の右腕として、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの「格闘技世界一決定戦」(1976年6月)を実現させるなど、新日本プロレスの黄金時代を陰で支えた功労者。数々の功績を残した新間さんに、〝炎の飛龍〟藤波辰爾(71)が追悼の言葉を捧げた。

 関係者によれば、新間さんは3週間前に体調不良で入院。19日に退院したばかりだったが、都内の自宅で亡くなったという。

 新間さんは、1972年に猪木さんが旗揚げした新日本プロレスに入社。右腕として活躍し、76年6月には猪木 vs モハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」を実現させるなど数々の名試合をプロデュースした。また初代タイガーマスクの誕生も企画して一世を風靡(ふうび)し、83年の退社後はUWFを設立するなど、プロレス界に多大な影響を及ぼした。2019年には、日本のフロントで唯一のWWE殿堂入りも果たしている。近年は初代タイガー主催の「ストロングスタイルプロレス」で会長を務めたが、昨年10月にプロレス界からの引退を表明していた。

 名伯楽の死を受けて、取材に応じた藤波は「やっぱり本当なんですか…」とショックをにじませつつ「先週、娘さんから『父と話してくれませんか』とご連絡をいただいて、お電話を差し上げたんです。新間さんがレスラーの仲間と話すと元気が出るということでね。声のトーンは少し低かったけど、普通に会話できていたので『時間ができたらお会いして食事したいです』と言ってたんです」と明かした。

 WWE創業一族のマクマホン家と家族ぐるみの付き合いで、ビンス・マクマホン・シニアの盟友だった。藤波が78年1月に、ニューヨークのマジソンスクエア・ガーデン(MS・G)でWWWFジュニアヘビー級王座を獲得できたのも、両者のパイプがあったからこそ。「一番喜んでくれたのは、チャンスをくれた新間さんだった。今の俺がいるのも新間さんのおかげ。スターを作るという意味では天性のものがあったし、新日本プロレスの繁栄は新間さんの仕掛けの功績が大きかったね」

藤波とかおり夫人の結納にも同席した新間さん(右=1981年)
藤波とかおり夫人の結納にも同席した新間さん(右=1981年)

 81年6月にMS・Gのリング上で、妻・伽織さんとの婚約を発表したのも、新間さんが用意したサプライズだった。「あんなことは、もう誰もできないだろうって。俺だけじゃなく、タイガーマスクにしろ、長州(力)にしろ、新間さんの作品みたいな気がするね。猪木さんの異種格闘技戦も含め、新間さんがいなかったら、実現しなかったことはいっぱいあるでしょう」と振り返った。

「本当に残念だね。猪木さんが亡くなって、また新間さんもと思うと…。藤波辰爾を作ってもらった。これは言葉にはできない感謝ですよ」。新日本プロレスの黄金時代を縁の下で支えたのは、間違いなく〝過激な仕掛け人〟だった。