【プロレス蔵出し写真館】WWEで活躍する中邑真輔がテレビアニメ「キン肉マン 完璧超人始祖編」Season2で声優に初挑戦し、カマーンダス役を演じることが先月、話題になった。初期の「キン肉マン」は日本テレビ系列で放映していたが、今はCBCテレビ/TBS系列で放送されているのを知った。

 ゆでたまご原作の「キン肉マン」は2024年に原作45周年を迎え、18年ぶりにテレビアニメ新シリーズが開始された。主人公のキン肉スグルの誕生日4月1日には公式オンラインストアで「生誕祭」が行われ、京王百貨店新宿店では「キン肉マンFESTIVAL」が3月20日から4月1日までイベントが行われた。息の長い人気を誇っているのが「キン肉マン」だ。

 1983年にはキャラクターのゴム人形型消しゴム(通称キン消し)がブームになり、累計1億8000万個以上の販売を記録したという。 

 中邑は世代がドンピシャで「子供の頃から触れてきた『キン肉マン』に出演させていただき、とても光栄です」とメッセージを伝え、キン肉マンがプロレス界に与えた影響について「新規のお客さんの獲得にも貢献。プロレスラーがキン肉マンにあるような技を使用した」と語った。

 さて、その人気にあやかろうと新日本プロレスが「キン肉マン」を誕生させようとしたことは、オールドファンには既知の事実だろう。

 今から40年前、1984年(昭和59年)8月24日の新日プロ、後楽園ホール大会に目出し帽をかぶりアメフトのコスチューム姿の謎の怪覆面レスラーが出現した。先導したのは将軍KY若松だ。

 この日、アントニオ猪木はパキスタン遠征最終日で負った左足腓腹筋損傷で試合を欠場し、テレビ放送席にゲストとして座った。直後に怪覆面が観客席を蹴散らしながら登場し、リングに上がると制止する若手をタックルで吹っ飛ばした。

 リングジャックした怪覆面に猪木もリングに上がり対峙。怪覆面は対決をアピールした。ワカマツは「オレの悪の組織で1分で潰せる。このマーケットをいただくために第一の刺客を連れてきた。狙撃目標は猪木だ」と吠えた。

 マスコミにはすでに「キン肉マン」登場が噂されており、怪覆面の目出し帽の下に垣間見える目の形を見て、このレスラーが変身すると〝確信〟した社もあった(写真)。 

 まだ名前もはっきりしなかった怪覆面の名前が明らかになったのは8月31日の神奈川・南足柄大会。若松がアドリブで「戦う機械。ストロングなマシーンだ」と言ったことでストロング・マシーンになったという話は、ファンには広く知られる。

 マスクマンの正体は平田淳嗣で、帰国直前までカナダ・カルガリーで頭をモヒカン刈りにして、ネイティブ・アメリカンのサニー・ツー・リバースとして活躍していたが、この年の3月にユニバーサルプロレス(旧UWF)が設立され、新日プロから選手が移籍したため帰国命令が下ったのだ。

 子供たちに人気のキャラ「キン肉マン」への変身が平田に伝えられ、(しぶしぶ?)本人も了解していた。

モヒカンでサニー・ツー・リバースとして活躍した平田(1983年11月、カナダ・カルガリー)
モヒカンでサニー・ツー・リバースとして活躍した平田(1983年11月、カナダ・カルガリー)

 当時、若手だった新倉史祐は「平田さんは納得してたと思いますよ。僕と小杉(俊二)が実験台になり道場で練習しました。タックルに磨きをかけてた」と証言する。

 ところが、権利関係がクリアされていなかったようで、この計画はあっさり頓挫した。 

 プロレスライター小佐野景浩さんは「平田さんが後楽園で目出し帽をかぶったときは『キン肉マン』の話はまだ継続していたようです。『キン肉マンの体に似せるため、道場にプロテクターも用意されていて、額に〝肉〟と入ったマスクもあった』と引退前のインタビューで明かしてました」と教えてくれた。

「平田さんは『何回か会場に殴り込むうち、マスクが気に入った。マスクをかぶると人って変わるんだな。かぶりたいなと思うようになった』と心境を語っていた」(小佐野さん)

 マシーンは9月7日の福岡大会で猪木とのシングル戦でデビューし、スーパー・ストロング・マシンと改名後、翌85年8月にヒロ斎藤、高野俊二(後に拳磁)とカルガリー・ハリケーンズを結成して新日プロを離脱。87年に新日プロにUターンした。

 94年(平成6年)10月30日に両国大会で発した「こんなしょっぱい試合ですいません」をきっかけにマスクを脱いだが、「橋本(真也)とIWGPタッグも取ったし、素顔になって良かった」と明かしていた。
 
 もし「キン肉マン」になっていたら…マシン以上の活躍はあったのだろうか(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る