今年2月に脳梗塞のため91歳で死去した元阪神監督・吉田義男さんのお別れの会が、25日に大阪市内で行われ、藤川球児監督、掛布雅之OB会長、岡田彰布オーナー付顧問ら約550人が参列した。
自身の体調も思わしくない中、弔事に臨んだ岡田顧問は「監督、大事な時に声が出ないんです。体調を壊してしまって。もっとたくさん語りたかったんですが、聞きづらいかもしれませんが聞いてください」と吉田さんの遺影を前に語りかけ、監督と選手としてともに戦った自身の現役時代を振り返った。
「初めて同じチームになったのは、2度目の監督に復帰した1985年のシーズンでした。オフに吉田さんから二塁行けるか?と聞かれ、即答で『行けます』と応じると、セカンドへのコンバートを即断してくれました。野球をやっていて『守りで攻めろ』と言われたのは吉田さんが初めてでした。私に取っては(1985年は)転機となるシーズン。ご指導のおかげで打率、本塁打、打点でキャリアハイの数字を残すことができ、チームとしても初の日本一を成し遂げることができました」
恩師への感謝と敬意を切々と口にした岡田顧問だが「今でも話の食い違いがあります」とも語り、以下のように続けた。
「巨人戦での江川からのバント談議です。『俺は絶対にバントのサインを出していない』とこだわっていましたが、本当はバントのサイン出てましたよ。3球目まではバントのサインでした。1ストライク2ボールになったらエンドランに変わるかなと思ってたら本当にエンドランのサインが出ました。案の定レフトスタンドにホームラン打って、その試合に勝ちましたよ。あれが最初で最後のバントのサインでした。これが本当の真実です」
祭壇でほほ笑む今牛若丸を前にしても、らしく意地を張り続けた岡田顧問。ユーモラスな師弟の絆に会場からは温かな笑い声があふれた。













