【平成球界裏面史 近鉄編65】平成30年(2018年)オフ、岩隈久志は右肩の故障からメジャー復帰を果たせぬままマリナーズを退団することが決まった。本人は現役続行の意向でにわかにNPB復帰が話題となった。当初は古巣である楽天が大本命かと思われていた。だが、平成31年(2019年)から巨人で第3期政権に乗り出す原辰徳氏が岩隈に直接ラブコールを送るなどし、巨人入りが決まった。
2018年12月6日には巨人が岩隈と契約合意と発表。19日には入団会見が開かれた。背番号は21に決まった。「巨人の優勝に貢献してほしい」。平成21年(2009年)にWBCで共に戦い2大会連続の世界一に輝いた指揮官から、直々に誘われたことが巨人入りへの決意を後押しした。
ストーリーは美しい。だが、岩隈の道のりはそう簡単なものではなかった。近鉄時代から痛めていた右肩がそう簡単に治癒するはずはなかった。岩隈はこのシーズンで38歳。年齢的な衰え、故障の治りの遅さを自覚していたはずだ。
とはいえ、メジャーリーガーが8年ぶりに日本球界復帰となった上に、注目度の高い原巨人に加入となれば、取材陣も放置はしてくれなかった。この経験は近鉄、楽天でプレーしてきた岩隈にはなかったものだろう。
1月22~23日、川崎市のジャイアンツ球場で岩隈が自主トレを公開すると多くの取材陣が待ち受けていた。見知った顔が皆無ではなかったが、環境の変化に不安がないわけではなかった。そんな中、自主トレでキャッチボール相手を務めてくれたパートナーが心を和ませてくれた。
その相手とは1999年ドラフトで近鉄に同期入団していた高木康成一軍サブマネジャー(当時)だった。高校出身で投手としてプロ入りし岩隈とは同級生。近鉄時代には師匠である久保康生投手コーチの自宅に招かれては野球談義に花を咲かせた仲間だ。久保氏は当時を「あの頃は楽しかったなあ。俺も若かったしね、現役選手と近い感覚で話もできた。休みの時にはクマも高木もよくウチに来てガレージでバーベキューしたものだね。クマは好き嫌いが結構あってね、苦手な食材を高木に押し付けるんですよ。子供みたいで面白かったなあ」と振り返る。
近鉄消滅後も岩隈と高木は公私共に親しい関係を継続していた。もう何年ぶりか分からないほど時間が経過した久々の同級生とのキャッチボール。岩隈の脳裏には様々な思い出がよみがえった。これは高木とて同じだっただろう。球団合併という大人の理由で同期入団の仲間と強制的に離れ離れになったわけだから。
岩隈はオリックス入りを拒否し楽天へ。高木は分配ドラフトでオリックスの一員となった。そこから時を経て岩隈はメジャー経由で巨人入り。高木はオリックスから巨人にトレード移籍し、引退後には球団スタッフとなっていた。この未来を読める人間などいるはずもない。
岩隈は04年の球団消滅後も応援し続けてくれる近鉄ファンのことを忘れた事はない。この時点で元近鉄の現役選手はヤクルト・坂口智隆、近藤一樹と岩隈のみ。NPBの舞台でセ・リーグの巨人とヤクルトという形で対戦する事だって夢ではなかったのだが、近鉄猛牛ファンが求めるシーンが訪れる事はなかった。















