【森脇浩司 出逢いに感謝(18)】2018年には松坂大輔が中日にテスト入団し、18年に6勝4敗と復活。カムバック賞に輝くなど、多くの人に勇気を与えた。ホークス時代はコンディションが整わなかったが、新しい環境で工夫を重ね、過去の松坂と違って勝つための投球スタイルを自分の中で確立させた。極端に言えば、自分の力を見ながら四球でいい時は意図的に四球を出したりしながら試合をつくる。長いイニングとか完投とかではなくても、最低限のことはする。キャリアからくる味と技がありましたね。
それまでの印象に残っている松坂といえば…06年、僕がソフトバンク・王貞治監督の代行として西武と西武ドームでプレーオフを戦った時のことです。ファーストステージ第1戦はエース斉藤和巳と松坂の投げ合いでした。
0―1で負けるんだけど、僕は監督代行をやりながら三塁ベースコーチもやっていた。改めて松坂の投球を目の当たりにし、ベンチにいる時は和巳の投球を見る。1点取れば勝ちだし、取られたら負けだなと…。僕は40年以上プロ野球にお世話になってきたけど、本当に双方の投球がすごかったんです。
中日で同じチームになった大輔にある日、聞いたことがあった。「大輔、今までで一番印象に残るピッチングはどれだ」と言うと「06年のプレーオフで和巳さんと投げ合った試合です。あの時は一番調子よかったです」と…。「あの試合は三塁ベースコーチから見ててもすごかったぞ」って。いつもすごいし、あの時より速いまっすぐはあるかもしれないけど、ピッチングそのものがすごかった。三塁コーチとしてまさに1点勝負だと思っていた。四球もないし、連打も計算できない。そんな話をした覚えがありますね。
近い将来、中日を強いチームにする必要がある。彼の存在がチームを成長させ、勇気づけるものだったし、一方で森繁和監督も勇気づけていたと思います。松坂にとっても森さんは心強かったし、若い小笠原慎之介、柳裕也なんかも将来的に「必ずこういう投手になるんだ」と思い描いたでしょう。彼らもそれだけのポテンシャルは持っていた。
中日での2年間は連続5位で終わりました。森監督は辞任の意思を固め、かっこつけるわけじゃないけど、僕も森さんへの思いで入っているし、一蓮托生。それが僕のスタイルだし、そのタイミングの考え方でしたね。
19年に僕はアマチュア指導資格を回復し、福岡工業大学野球部の特別コーチを務めました。そして、20年の10月ごろ、ホークス時代の教え子でロッテの井口資仁監督から連絡が入った。「一緒に強くしてくれませんか」。これまでは球界の先輩からの頼みだったけど、今回は教え子からの頼み。先輩からのオファーに甘んじていたわけではないけど、後輩の頼みは重いなあと…。











