【石井和義の光と影#27】K―1の大会を運営する会社「ケイ・ワン」を立ち上げてから初めて渋谷税務署が調査に来たんです。そこから2002年に国税局の調査を受けている中、ある人物から「マイク・タイソンとの架空の契約書をつくって経費があったことにしよう」という言葉を受けて「もう、これしかないな」と思いました。僕が実刑になるとK―1がなくなると思っていたので「自分はどうなってもいいからK―1を守るためにやるしかない」という一心でした。
今、冷静に考えたらそんなバカな話はないですよ。だけど、そのころの僕はとにかく必死で、その人物がつくったウソの契約書を国税局側に提出しました。それを出さなければ執行猶予が付いたかもしれないのに…。その裏取りや取り調べなどで調査はさらに長引くことになります。2002年に「Dynamite!」や「K―1 WORLD GP」をやっていた裏で、実はこんな騒動になっていたんです。
一度ウソをついてしまったから、そこからウソをつき続けないといけなくなりました。悪いものは悪い物で重なるのです。結局、04年1月14日に東京地裁で1年10か月の実刑判決。06年に最高裁から上告棄却され、実刑が確定しました。その後は、07年6月11日に静岡刑務所に収監されることになるわけですが、その前にも、いろいろなことがあったんです。
02年末に運営会社「ケイ・ワン」の法人税法違反容疑で在宅起訴されて、僕はK―1の役職を離れました。代わりにK―1を運営していたのは「FEG」という会社です。ところが、そのFEGの経営が徐々に苦しくなっていたようで、収監される直前に「助けてほしい」って相談されたんです。それで、親しくしていたある会社をFEGに紹介しました。そこでもいろいろあったわけですが、最終的には数億円をその会社がFEGに貸すことになった。ただし僕がその連帯保証人になることが条件でした。連帯保証なんて“借金”ということになるわけだから最初は「できません」と断ったんです。
でも、その話し合いをしたのは出頭する当日の午前中だったんです。つまり午後には家を出ないといけなかった。そこにFEGの人たちも「必ず返します」と…。それに当時は地上波テレビでも大会を放送していましたし、年末のビッグイベントもあった。総合格闘技の「HERO’S」もやっていて、ライバルの「PRIDE」がなくなって安泰だと思っていました。だからこのお金も返せるだろうと思って「必ず返してね」と言いながらハンコを押して“お勤め”に向かったんです。この選択が、後にK―1を迷子にしてしまうことになろうとは全く思いもしませんでした。













