【石井和義の光と影#25】2002年は本当に大変な年でした。8月28日の「Dynamite!」(国立競技場)に続いて、12月7日には東京ドームで「K―1 WORLD GP 2002 決勝戦」を開催しました。その裏で僕はマルサ(国税局)と一生懸命戦っていましたが、その胸中をまったく表情に出さないようにして、笑顔で過ごしていました。

ベルナルド(右)と激突したアーツ(96年5月)
ベルナルド(右)と激突したアーツ(96年5月)

 年末の「K―1」はチケットもソールドアウト(※)でした。あの大会が、K―1として一つのピークだったと思います。そして、そんな記念すべき大会で優勝したのがアーネスト・ホースト(オランダ)という玄人受けする存在だったというのも、K―1を象徴している気がします。アンディ・フグ(スイス)やピーター・アーツ(オランダ)のような派手さはないけど、実力派のテクニシャンでした。

 彼の場合、参謀役といえるヨハン・ボスとヤン・プラスという2人の存在も大きかった。彼を見ていたら「格闘技というのは二人三脚でやるんだな」ってことを痛感させられました。ヤン・プラスが教えて、ヨハン・ボスがマネジメントをして、ホーストが戦う、みたいな。格闘技は個人競技だけど、チームで戦うものなんです。戦術を考える「コーナーマン」は大事なんです。

 例えば、ピーター・アーツが勝ち続けたころに「それじゃあ面白くない」ということで、対抗馬にマイク・ベルナルド(南アフリカ)をぶつけた。でも最初の対戦(1995年12月9日)は簡単に負けました。理由はベルナルドが左ジャブから入ったからです。左ジャブを出す時は左脚が前に出るから、ピーターが得意な右ローがいい角度で入る。そこで「ピーターにはジャブから入らないで、いきなり右ストレートから入れ」とアドバイスをしたんです。そうすれば左脚は外側に向くのでローキックが効かなくなるから。

 さらに「右ストレートを打ったら、次に左を返して右を打てばピーターは倒れる」と言ったら、次戦からその通りの形でベルナルドが連勝しました。これを受けたピーターも研究して、その後は左脚から蹴るようになるんですけどね。

 そういう意味でチームとしての強さを発揮していると思うのが、ボクシング世界4階級制覇王者の井上尚弥選手です。お父さん(真吾トレーナー)がしっかりしていてジムの大橋秀行会長がちゃんとマネジメントして…。だから井上選手は安心して戦えるんだと思いますよ。

 次回からは、このK―1の盛り上がりの裏で起きたあの“事件”について触れていきたいと思います。

 ※K―1の大会として最多の7万4500人(主催者発表)の観客を動員した。

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