【石井和義の光と影#26】記念すべき第1回大会となった「K―1 GRAND PRIX 93」(1993年4月30日、東京・国立代々木競技場第一体育館)で大盛り上がりを見せて以降、右肩上がりに上昇し、規模を拡大させていったK―1にも影が立ち込めつつありました。

猪木さん(右)と石井館長(01年7月)
猪木さん(右)と石井館長(01年7月)

 2001年に渋谷税務署が調査に来たんです。96年にK―1を運営する会社「ケイ・ワン」を立ち上げてから初めてのことでした。これに、ウチの事務所の一角を使って税理士が対応していたんですが、半年ほどかかっても調査が終わらないから「長いなあ」と不思議だったんです。僕は脱税をしているなんて全く思っていませんでしたからね。そこで税理士に理由を聞いたけど「ちゃんとやっています」と返されるばかり。さらに、税理士から「ここに振り込んでください」などといろいろ言われて、その通りにやっていました。

 これが後に大変なことになります。この税理士と委託の社員が組んで、裏で「ケイ・ワン」の金を数億円という単位で使っていたんです。そうしているうちに渋谷税務署が国税局に持っていって、いわゆる「マルサ案件」に切り替わってしまった。マルサになると、検察も刑事事件として動きます。僕だってバカじゃないから「何やってるの?」みたいな話にはなったんだけど、リング上がとにかく忙しすぎて、すべてを任せてしまったんですよね…。

 この時点で僕自身の「使途不明金」は5年間で2000万円くらい。ちゃんと対応していれば問題になる金額ではありません。そういうこともあって「マルサ案件」になってからも当初は税理士と委託社員の脱税になるんだと思っていましたし、新たに雇用した税理士の先生たちとキチンと対応していました。

 ところが、そこに現れたある人物から「1回ケイ・ワンから出ているお金なので、検察は『全てケイ・ワンの脱税だ』って言ってきますよ」と指摘されたんです。もちろん「そんなことないでしょ」と言っていたんですが、ふたを開けたらその通りだった。こうなると話は変わります。「僕はどうなってもいいけど、K―1がなくなるのはファンの皆さんに申し訳ない」というのがありましたから。僕が実刑になるとK―1がなくなると思っていました。

 そして、その人物に証拠隠滅を教唆されたわけです。「マイク・タイソンと架空の契約書をつくって、経費があったことにしましょう」と…。「そんなことしていいんですか?」って言ったら「検察は、無実のあなたを陥れようとしているんです。館長はみんなの見せしめにされるんですよ。何も悪いことをしてないのにK―1はなくなるんです」と言われて…、信じてしまった。そこが運命の分かれ目でした。

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