【石井和義の光と影#17】1993年4月30日の「K―1 GRAND PRIX 93」(東京・国立代々木競技場第一体育館)から始まった大会は大きな盛り上がりとなりました。その初期時代を支えてくれた選手の中でも、欠かせないのは「青い目の侍」と呼ばれたアンディ・フグ(享年35=スイス)ですよね。
アンディとの関係は1992年7月の格闘技イベント「格闘技オリンピックⅡ」に参戦してくれたのが始まりでした。彼には武道家としての強い意思、侍としてのたたずまいがあった。そこに武道をやっている人たちのみならず、子供やその親が感情移入してファンになっていきました。スターになるには「どの層のファンをつかむか」というのが大切。男性と女性どちらかにやたら好かれる格闘家もいれば、両方に好かれる者もいる。そういう意味でアンディは老若男女全員に好かれるキャラクターを持っていましたよね。
最初は91年ごろ、関係者から「アンディが極真を辞めたらしい」と聞いてすぐにコンタクトを取りました。それで本人に会いにスイスへ行ったら「プロでやりたい」となり「格闘技オリンピック」参戦につながりました。今でも覚えているのは来日した時のこと。成田空港に迎えに行ったら、アンディが約束した場所で、イスにも座らず直立不動で待っていたんです。飛行機が予定より1時間も早く着いたらしいけど、それからずっと立っていたらしくて。「やっぱりすごいな」と感動しました。アンディ=武道精神、極真精神そのものだった。だから、日本のファンが外国人ファンでも感情移入しやすかったんだと思います。
そんなアンディの存在が“入り口”的役割になって、ほかの外国人選手もファンらに受け入れられたんだと思います。以前話した通り、もともと日本人には外国人選手も公平に応援できる気質があるんです。それをアンディが引き出してくれました。それでピーター・アーツやアーネスト・ホースト(ともにオランダ)、ジェロム・レ・バンナ(フランス)、レイ・セフォー(ニュージーランド)、マイケル・マクドナルド(カナダ)とみんなに愛され、応援されましたよね。
だから、本当にその存在は大きかったです。彼自身に格闘技界で「成り上がるんだ」というハングリーさがあったのも良かったんだと思います。実は、選手活動とともに将来の米ハリウッドでの俳優転向も目指していたんです。スイス人だから母国語はドイツ語だけど、そのために英語も勉強していましたしね。アンディは普段から「将来はハリウッドでムービースターになって、同時にスイスでプロモーターとしてやっていくんだ」なんて話していたんですよ。それなのに…。













