【石井和義の光と影#14】1993年4月に産声を上げた「K―1」の試合を中継するテレビ局とは密接な関係にありました。そもそも最初の「K―1 GRAND PRIX 93」が、フジテレビのイベント「LIVE UFO」内で行われたくらいですから。

 最初の第1回大会は放映権料は発生していなかったんです。そもそも放送するかも決まっていなかったので。それでも報道も世間の見方も変わったし、一気にスポンサーがつきやすくなりました。さらに後に深夜に放送されて、その時間帯としてはビックリする視聴率も取れました。

 それ以降の大会も平日深夜とか日曜日のお昼とかに放送されるようになって、視聴率も良かったので、フジテレビから「ゴールデンタイムにやろう」って話がきていたんです。だけど、断っていました。「もっと力をつけないとダメだ。焦らない方がいい」と思ったからです。ゴールデンでやって会場にお客さんが来なくなると困るという思いもありました。

 その後、チケットも順調に売れて選手も育って、ピーター・アーツとかアーネスト・ホースト(ともにオランダ)以外にもフランスのジェロム・レ・バンナとかニュージーランドのレイ・セフォーとかいろんな国の選手にキャラクターがついて人気が出始めた。アンディ・フグ(スイス)がカップ麺のCMに出て「ゴーメンなさいよー」って言ったり、上場企業がスポンサーについてくれるようになりました。

 そのタイミングでゴールデンでの放送をやったんです。96年10月の横浜アリーナ大会でした。まさにここぞ!というとき「佐竹雅昭VSアンディ・フグ」をメインに、視聴率は瞬間最高20%超(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。定期的にゴールデンで放送するようになりました。放映権料は1億円くらいだったと思いますね。

 やっぱり、テレビの力は大きかったですよ。中継以外に「超K―1宣言!」(日本テレビ系)、「SRS」(フジテレビ系)と格闘技番組が始まり、大会を盛り上げてゴールデンに持っていく手法を取り入れました。格闘技で大切なのは感情移入。ファンがどれだけ選手に入り込めるか。そのためには選手のバックグラウンドを知ってもらうことが必要でした。特に外国人が主力だから、その作業を丁寧にし、女性を意識しました。女性人気がないとスポーツは伸びないですから。

 ちなみに、グランプリ決勝は、フジテレビ事業部が主催するイベントにしてあげていました。決勝が一番儲かる。97年の決勝は約5万4000人も入ったけど全部フジテレビの収入でしたよ。そうやって関係も築きつつ、新たな道を模索していました。それは、他局でのK―1放送です。

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