【石井和義の光と影#15】1997年11月9日に東京ドームで開催した「K―1 GRAND PRIX 97 決勝戦」は約5万4500人の観衆を集め、中継したフジテレビ系の視聴率も平均20%超(ビデオリサーチ調べ)を記録するなど好調が続きました。

トンプソン(右)と打ち合う武蔵(98年10月)
トンプソン(右)と打ち合う武蔵(98年10月)

 その裏で模索したのが他局での放映。いつ打ち切られるか分からないリスク回避と他の団体が入り込めないようにするためでした。昔のキックボクシングは各局で各団体の試合を放送。プロレスもそうです。必ずそうなるから。その前にうちでやってしまおうというわけです。

 そんな中「K―1に出たい」という日本選手が増えてきたので「日本人中心の大会をやりませんか」とフジに持ちかけたんです。でも「うちは最高峰のグランプリを見せたい」と言われて「日本リーグじゃない。日本人と外国人が戦うことで感情移入があってドラマが生まれるんですよ」って言ったんですけど。フジが断るのは分かっていました。それで日本テレビに持っていったんです。

 当時フジと日テレは視聴率3冠王を争っていました。だから「その2つを抑えれば勝ちやん」って。でもフジに黙ってライバル局でやるわけにいかないから、一度断られてから日テレに持ちかけると、案の定、乗ってくれた。フジに「日テレでやります」と言ったら「ちょっと待って。うちでやるから日テレは断って」と言われましたが、98年に「K―1 JAPAN」がスタート。日テレで放送されたんです。

 これは臆測だけど、フジは「なんでライバル局?」と思っていたでしょう。だって担当者は「先に話があったけど断った」と会社に言わないですよね。言えば自分の“バッテン”になる。それで「PRIDE」が出てくる。日テレでK―1やるなら「うちも違う格闘技」となったのかな。「浮気したからこっちもするよ」みたいな。実際「PRIDE」をゴールデンでやるって聞いてなかったですから。

 2002年にはTBSで「K―1 WORLD MAX」を開始。これもフジと日テレに先に「中量級をやりません?」と話をし、両局とも「枠がない」って言うから。すごい状況ですよね。テレビ朝日は新日本もあるので格闘技はやらない。だからこれで、民放はほぼ抑えたということになるんです。ちょっとやりすぎたよ(笑い)。

 でも全階級をやりたかったんです。ボクシングの井上尚弥を見れば分かるけど、日本人は60キロ以下が強いし、人数が多い。でもいきなり軽い階級には持っていけないから、まずは70キロからスタートすることにしました。MAX立ち上げの話は改めるとして、先に前出した「PRIDE」に触れましょう。実はその誕生に関わっていて…。

【石井和義の光と影】この連載の記事一覧へ