〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)が10月1日に死去してから、2か月半がたった。プロレス界はいまだ悲しみから抜け出せないままだが、17日に都内で「アントニオ猪木を語る師走追悼講演会」で開かれ、プロレス界の〝レジェンド〟たちが猪木さんとの思い出を披露した。

 同会の主宰は「燃える闘魂」の名づけ親で、プロレス名実況で知られた元テレビ朝日アナウンサーの舟橋慶一氏。会の終盤には舟橋氏、新日本プロレス旗揚げメンバーの北沢幹之氏、初代IWGPタッグ王者で現在は品川区議会議員を務める木村健悟氏、プロレス評論家の門馬忠雄氏が「アントニオ猪木の時代」と題した座談会を行った。

 1960~70年代のプロレスラーたちの秘話が語られる中、長年にわたって猪木さんの練習相手を務め、リングネーム「魁勝司」として活躍した北沢氏は燃える闘魂の〝凄み〟を力説。「あの人の強さは、本当に普通ではなかった。自分は脚で相手の腕を決めることが得意で、逃げられたことはなかった。だが猪木さんとは何回やっても、体をひねって逃げられてしまった」。関節技の名手だった魁勝司でも、猪木さんに関節技を決められなかったという。
 
 さらに「試合の時、相手をすごい目でにらみつけて試合をやる。お客さんは(猪木さんの)目を見ただけでついてくる。ああいうところは『並の人間じゃないな』と思った。だから、猪木さんのことは大好きだ。猪木さんは1歳年下でも2回くらい殴られたが、師匠は師匠。猪木さんのおかげで今の自分があると思っている」と猪木さんへの思いを明かした。

 猪木さんの闘病中にも話をしていたといい「猪木さんはタコがすごく好きだった。タコのちゃんこを『もう1回、あれ食べたいな』と。あれだけ弱っていて、食べられるわけなかったが、『持って行きましょうか』と言うと、コロナがはやっているから『自分一人ならいいけど、他の人もいるから、ちょっとまずいだろうな』と、とうとう食べさせてあげることはできなかった。それは悔いが残っている」と明かした。

 さらに猪木さんがブラジル時代に「ものすごくお金に苦労したと聞いた。だからお金を大事にしていた」と言い、「自分もそういうことは見習ったほうがいいと思った。プロレスやめて内装の仕事をやったが、働いてくれた人にはお金をきちっと払うようにした」。プロレス引退後も猪木さんの影響を受けていたという。最後も「練習では猪木さんから甘やかしてもらったことはないが、おかげさまで他の連中に腕を決められたこともなかった。やっぱり猪木さんは偉大だった」と師匠に惜別の念を示した。

 木村氏も「自分の人生にすごく影響力があった。品川区の区議会議員として活動しているのも、『アントニオ猪木さんの弟子』でなければ、名前を覚えてもらえなかった」としみじみ語った。

 燃える闘魂の思い出話は尽きない。〝プロレス界のレジェンド〟たちにとっても、その思いは同じようだ。