【広瀬真徳 球界こぼれ話】「燃える闘魂」アントニオ猪木さんが今月1日に死去された。プロレスを担当していた20代のころにお世話になったことがあるため、一報を聞いた時には全身に衝撃が走った。

 あくまで一介の記者とレスラーという間柄。特別な親交があったわけではない。それでも猪木さんには人生を思い悩む時期に温かい言葉をかけていただいたことがある。

 今から21年前の2001年。猪木さんが主催するツアーの関係で米サンフランシスコを訪問された際、現地で内輪の食事会に参加させていただいた。当時の自分はシアトル在住でイチロー選手を取材する身だった。すでにプロレスには携わっていなかったが、猪木さんにあいさつすると「そうか、シアトルからか。よく来たな!」。そう言って反り立つあごを上下に揺らしながら頭をなでてくれた。

 これに気をよくした自分は会食中、自身の将来について相談させていただいた。学生時代の夢は航空関係の仕事に就き世界中を飛び回ること。その思いを胸に高校、大学では語学習得に努めた。だが視力や肉体的な問題もあり断念。代わりに選んだ職が新聞記者だった。いちずにプロレス道を歩み続けた猪木さんとは対照的な人生。そんな自分に自信が持てず「こんな中途半端な人生、ダメですよね」。思わず会話の中で弱音を吐いてしまった。

 すると猪木さんは笑顔だった表情を一変させ「自分の人生をそんなふうに悲観するヤツがいるか、バカヤロー!」と激怒。周囲の関係者も凍りつく鬼の形相に「マズい、余計なことを言ってしまった…」。ビンタでもされるのかと覚悟した次の瞬間、猪木さんが静かに語り出した。

「いいか、今歩んでいる道が間違っているかどうかなんて誰にもわからない。お前さんが決めるんだよ」

 さらに、当時のメジャーリーグ事情にもふれ「今、大リーグを取材しているんだろ? 英語も話せるんだろ? 誰もができる仕事じゃない。そのうち日本のプロ野球選手が大勢ここ(アメリカ)で活躍する日が来る。この経験は必ず役に立つからまずはやり続けろ」。まさかの激励だった。

 異国の地で目標や夢を失い欠けていた若造にこの一言がどれだけ響いたか。あれから20年以上がたった今、日本人選手が日常的にメジャーで活躍する姿を見ると猪木さんの言葉が脳裏によみがえる。

 いつかお会いした際に当時のお礼を言いたかった。それがかなわぬ今となっては我が身に残る「猪木イズム」を書き残すことぐらいしかできない。

 人生の歩み方を厳しくも優しく教えてくれた猪木さん。ご冥福をお祈りいたします。

☆ひろせ・まさのり 1973年愛知県名古屋市生まれ。大学在学中からスポーツ紙通信員として英国でサッカー・プレミアリーグ、格闘技を取材。卒業後、夕刊紙、一般紙記者として2001年から07年まで米国に在住。メジャーリーグを中心にゴルフ、格闘技、オリンピックを取材。08年に帰国後は主にプロ野球取材に従事。17年からフリーライターとして活動。