プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(本名・猪木寛至=享年79)が1日に心不全で急逝し、日本中が深い悲しみに包まれている。
第一報を報じた10月2日付本紙1面で、猪木さんの「俺はパキスタンとかアリ戦もしかり、そういう命を置いてでも勝負をしてきたんだ」の印象的な言葉が掲載されている。「パキスタン」とは言うまでもなく、アリ戦から半年後の1976年12月12日、パキスタン・カラチのナショナルスタジアムで行われた、パキスタンの英雄、アクラム・ペールワンとの壮絶な一戦のことである。
ペールワン一族はパキスタンで最強を誇り、なかでもアクラムは国民的英雄だった。そのアクラムがアリと戦った猪木に挑戦状を叩きつけ、この一戦が実現した。猪木はあえて敵地パキスタンへと向かった。
当時の本紙は観客数5万人、競技場の周囲の丘に2万人、合計7万人の観衆が詰めかけたと報じている。まさに「命」を置かなければ臨めない戦いだった。しかも5分6ラウンドワンフォールマッチとはいえ、ほぼ「ノールール」のまさに「決闘」だった。
『スタジアムを埋めた大観衆は異常というよりは恐怖さえ感じさせる盛り上がりだ。午後7時、ゴングが鳴った。「何をやってくるのか分からないので不気味」と語っていた猪木はそり投げから逆十字。アクラムはすぐにバックを取ると、猪木も足をフック。明らかにアメリカンスタイルのレスリングでないことが分かる。もっとドロドロした生の迫力がある。2ラウンド、猪木がラッシュ。そり投げからフェースロックだ。そのままアクラムの頭をマットに押しつけ、こめかみにヒジを決める。負けることが許されないパキスタンの英雄は、しゃにむに猪木の左手首にかみついて逃れようとするが、その姿勢で2ラウンドが終了。7万人の大観衆は猪木の力が分かりかけていた。そして3ラウンド。猪木はバックの取り合いから一瞬のスキをついてアームロック、アクラムをグイグイ絞り上げる。顔面蒼白で額に冷や汗を浮かべてこらえるアクラム。レフェリーが「ギブアップ?」と問いかける。しかしアクラムは歯を食いしばったままだ。猪木はもう一度腕を絞り上げた。ボキッ! アクラムの左腕が異様な角度に曲がり、不気味な音はハッキリとリングサイドにも聞こえた。リングドクターが飛び込んできて結果をレフェリーに伝える。左肩と左ヒジの完全脱臼。リングサイドは大変な騒ぎだ。担架が運び込まれ、アクラムは救急車で病院へ直行した。このハプニングで判定は30分以上遅れたが、結果は3回1分5秒、ドクターストップ勝ち。猪木恐るべし。何しろパキスタンで一番強い男を初戦で病院送りにしてしまったのだ。この結果、第2戦の予定は全く白紙となった』(抜粋)
猪木は15日、19日にもアクラムの兄弟(ボロ・ブラザーズ)と戦う予定だったが、あまりの猪木の強さに対戦を拒否。中止となってしまった。しかも特派員によれば「アクラム一族2000人以上が闇討ちを狙っているとの情報が出始めたため、猪木はホテルに軟禁状態になっている」と報じている。
しかし英雄アクラムの腕を折った壮絶な試合により、猪木は一気にパキスタンで英雄扱いとなり、現地の新聞は1面で「神秘の英雄」と報じ、ちょっとホテルを出ただけで2000~3000人のファンに取り囲まれるほどだった。猪木はその後も何回かパキスタンを訪れたが、そのつど何万人もの民衆が押し寄せたという。アクラムは結局、この試合を最後に引退。「命」を置いた戦いに劇勝した結果、猪木はパキスタンでも英雄となり、さらに世界的名声を高めた。 (敬称略)













