プロレス界のスーパースター・アントニオ猪木さん(本名猪木寛至)が1日午前に「心不全」のため79歳で死去したことを受け、新日本プロレスの〝世界の荒鷲〟坂口征二相談役(80)が戦友へ感謝の言葉を送った。

 最大の盟友の訃報に、坂口氏はショックを隠し切れなかった。「この前の日テレの『24時間テレビ』も、自分自身に言い聞かせて出たんじゃないかなと思うよね。普通だったら辞めとけってみんな言うし、弱い姿を見せたくないじゃない。いつまでも注目されたり、スターでありたいとか、あったんだろうね。実際にそれだけのことをやってきた人だしね」と最後の最後まで〝燃える闘魂〟であり続けた猪木氏を偲んだ。

 1973年4月に日本プロレスから新日本プロレスに移籍。猪木氏とのタッグチームは「黄金コンビ」と呼ばれ、リング内外で長年にわたって団体を支え続けた。「いい時も悪い時もあったけどみんな『なにくそ』ってそういう気持ちでやって、それがどうにか続いて今の新日本の50年があるだろうからね。東京ドームとかソ連とか北朝鮮とかいろんなことあったけどね。『それは無理でしょう」って話も『猪木さんが言ったらやりましょう』ってやってきたもんね。(モハメド)アリ戦にしろ、無謀だったかもしれないけど、失敗したにしろ成功したにしろあとあとアントニオ猪木って名前がちゃんと出てくるんだからね」。常に挑戦を続ける猪木氏をサポートし、その足跡はそのまま今日のプロレス界の礎となった。

 日本プロレスから移籍する際にはジャイアント馬場さんの全日本プロレスからも誘いを受けた。坂口氏は「俺は猪木さんを選んだみたいになってしまったけどね。馬場さんにも誘われたし、猪木さんにも誘われたけど、猪木さんと一緒になって50年。間違いじゃなかったと思うよね。…まあ馬場さんがいないから言えることだけどよ(笑い)。新日本もうまくいってるし、今こうしていられることが全てだよ」と、猪木氏と歩んだ50年に誇りを持っている。その上で「猪木さんも『馬場さんが呼んでる、早く来いって言ってる』なんて、よく言ってたからね。ちょっと遅かったけど、逝ってしまったんだな…。馬場さんも『オウ、待ってたぞ。来るのが遅かったな』って言ってるんじゃないの」と、2人の再会に思いをはせた。

 猪木氏が創設した新日本プロレスは今年旗揚げ50周年のメモリアルイヤーを迎え、来年1月4日東京ドーム大会がその集大成となる。多くの関係者が熱望した猪木氏の来場はついにかなわなかったが「新日本もこうしてだんだん大きくなってるしね。猪木さんという創業者が亡くなったんだから、なお一層頑張ってもっともっと盛況になってもらいたいね」とゲキを飛ばすとともに、団体として追悼興行やセレモニーについても「当然やらないとダメだと思う」と口にした。

 最後に「猪木さん、いろんなことがあったけど、長い間ありがとうございました」とメッセージを送った坂口氏。最大の盟友のひと言には、日本プロレス時代から続く約55年にわたる2人の歴史が詰まっていた。