【豊田誠佑 おちょうしもん奮闘記(32)】俺は2008年のシーズンオフからドラゴンズの独身寮「昇竜館」の館長となった。毎年1月になるとドラフトで指名された選手たちが入寮してくる。プロ野球での成功を夢見て入ってくるが、レギュラーになれるのはほんの一握りの選手だけだ。それでも俺が館長を務めていたころの寮生たちは野球が大好きで、みんなうまくなろうと必死に練習していた。
10年のドラフト1位で入ってきたのが現在、ドラゴンズのエースとなった大野雄大だ。確か大野雄は入団当初、まったくピッチングができなかったんじゃないかな。大学時代に左肩を痛めてしまったからだ。シーズン終盤までずっと二軍にいて「今年は投げられないかもしれません」と言っていた。不安な気持ちもあったと思う。だけど明るくて真面目でとにかく一生懸命。みんなから愛される男だった。今季から投手キャプテンを任されたけど投手陣を引っ張っていくのに最もふさわしい選手だろう。
翌11年のドラフト1位が高橋周平だ。11年シーズンで退任した落合監督の後を受けた高木守道さんが3球団競合の中、引き当てたんだけど、高卒ルーキーとは思えない高橋周のバッティングを最初見たときは「こいつモノが違う」とビックリしたよ。バットのヘッドがうまく走ってすごい打球が飛んでいく。高木監督をはじめ高橋周の打撃を見た誰もが「将来日本を代表するスラッガーになる」と期待した。ただ性格的にはおっとりしているというか、闘志を前面に出すタイプではない。掃除をするのが苦手なのか部屋をのぞくといつも散らかっていた。レギュラーになるまで7年かかったけど、高橋周の実力はまだまだこんなもんじゃない。ここからさらにレベルアップしてほしいよね。
12年のドラフト1位・福谷は慶応の理系出身でそんなにしゃべるタイプじゃなかったけど、とにかく真面目。13年ドラフト2位で入ってきた又吉(現ソフトバンク)と仲が良かったね。11年ドラフト3位の田島、13年ドラフト5位の祖父江ら、あの時の寮生が今も一軍で活躍しているのを見ると応援にも力が入る。彼らがまだ二軍のころ、一緒に昇竜館のロビーにあるテレビで一軍の試合を見ながら、あーだこーだ野球談議に花を咲かせていたのはいい思い出だよ。楽しかった。ドラゴンズの未来を担う若手選手たちを見守っていく館長という仕事が本当に好きだったし、やりがいを感じていた。しかし…。
このコラムの第1回に書いたけど14年のシーズン終盤に球団に呼び出されて俺はクビを宣告された。若い人につないで世代交代を図るというなら仕方ないし、まだ納得もできる。だけど落合GMの肝いりで決まったと噂されていた後任の館長はドラゴンズとは縁もゆかりもなく、俺よりも一回り以上も年上でもう70歳を超えている方だった。俺は館長という仕事に全身全霊をささげてやっていた。そして何よりもドラゴンズのことが大好きだった。それだけに本当に残念だったし、悔しかったよ。
☆とよだ・せいすけ 1956年4月23日生まれ。東京都出身。日大三高では右翼手として74年春の選抜大会に出場。明治大学では77年の東京六大学春のリーグ戦で法政のエース・江川から8打数7安打と打ちまくり首位打者を獲得。「江川キラー」と呼ばれるようになる。78年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。内外野をこなせるバイプレーヤーとして活躍し82、88年のリーグ優勝に貢献した。88年に現役を引退後はコーチ、スカウト、昇竜館館長を務め2014年に退団。現在、名古屋市内で居酒屋「おちょうしもん」を経営している。












