3度の大舞台で感じたものとは――。カーリング女子北京五輪銀メダルのロコ・ソラーレでサードを務める吉田知那美(30)が24日、自身のインスタグラムのストーリー機能を更新。23日の「オリンピック(五輪)デー」に合わせ、五輪での思い出の回想した。

 北海道銀行の一員として出場した2014年ソチ五輪は「何があっても最後まであきめないと必死だった五輪」と、インフルエンザに感染した小野寺佳歩(現フォルティウス)の代役として活躍。しかし、準決勝進出を逃した数日後に五輪公園の会議室に呼び出され戦力外通告を受けた。失意に暮れ、一時は競技を辞めることも考えたという。

 それでも、本橋麻里の誘いを受けて、LS北見(現ロコ・ソラーレ)に加入。18年平昌五輪は「何があっても絶対に楽しむと決めて出た五輪」と笑顔を絶やさずにプレーした。3位決定戦では英国を下して、日本史上初の銅メダルを獲得。4年前の屈辱をバネに、歴史を塗り替えた。

 2月の北京五輪は1次リーグを5勝4敗で全日程を終え、ロコ・ソラーレ、英国、カナダが同成績で並んだが、ドローショットチャレンジ(DSC)の結果、LSと英国の準決勝進出が確定した。準決勝では1次リーグで敗れたスイスに勝利。決勝で英国に敗れたものの、堂々の銀メダルに輝いた。「ここまで来たら何があってもすべてを受け止めようと決めて出た五輪」との言葉通り、崖っぷちから平昌五輪を上回る成績を残した。

 試合中はどんなときもポジティブな言葉をチームメートに掛けるなど、精神的支柱として躍動。その裏には、人知れず秘めていた覚悟があった。