【山本美憂もう一息!(13)】 母(憲子さん)が白血病を患い闘病していた1999年、私は最初の夫との離婚を経験しました。闘病する母のそばにできるだけいたかったし、家族の力になりたくて、そちらを優先する時間が増えていきました。結婚当初の生活とは様変わりしてしまったこともあり、相手との歯車が次第に狂ってしまいました。
レスリングでは、前年に続き、99年の世界選手権(スウェーデン)出場を目指しましたが、国内予選で敗れ代表の座を逃しました。一方、当時日大1年の妹・聖子が初めて女子51キロ級の代表に選ばれました。私は聖子の練習相手を務め、世界の頂点を目指す妹をサポートしました。
聖子は「行ってきまーす」と元気に家を出てスウェーデンに向かいました。その後、遠征中は一切家と連絡を取らず、大会に集中していました。「山本家はどこにいても一緒。心細くない」と取材で語った聖子。母が望んでいた優勝を遂げるため、自分に厳しくしていたのでしょう。初戦から3試合連続でフォール勝ち。準決勝は強豪の中国選手を10―0のテクニカルフォールで下し、決勝に進みました。決勝では、カナダの実力者エリカ・シャープ選手と大接戦となりましたが、6―4で勝利。見事に世界の頂点に立ちました。
日本で待つ私たち家族にとっても吉報でした。病院にいた母に勝利を知らせようとしたところ、取材で現地に赴いていたテレビ局スタッフの方が、聖子の優勝の瞬間が収められたビデオテープを下さいました。「聖子が優勝したよ」と母に知らせ、病室で聖子の雄姿を見せることができました。その後、私は病室を後にし帰宅したのですが、病院から「母の意識がなくなった」という知らせが届きました。急いで病院に駆け付けたものの、すでに母は帰らぬ人となっていました。
母が亡くなってしまった。51歳でした。私は現実を受け止めることができませんでした。とても優しかった母。絶対にネガティブな言葉は口にせず、人の悪口も言わなかった母。子供のころ、朝にささいな言い合いをして、そのまま学校に行こうとすると「ケンカしたまま別れてはいけないよ」と私を抱きしめ、仲直りしてから送り出してくれた母。子供たちが夢中になるレスリングのルールを猛勉強し、審判にまでなった母。もう二度と会えなくなってしまいました。
母の子を思う強さは、死の間際まで表れていました。母が亡くなったのは9月14日早朝。聖子がスウェーデンから成田空港に到着する数時間前でした。聖子に会って、自分の耳で結果を聞くまで頑張っていたのです。
☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。












