【長嶋清幸 ゼロの勝負師(34)】中日コーチ時代、勝負の怖さを思い知らされた2004年の西武との日本シリーズは今も忘れられない。

 3勝2敗と王手をかけて臨んだ第6戦は、第2戦から中5日で先発したエース山本昌が5回まで松坂大輔と投げ合い、ウチが2―1とリードしていた。前回のマサは5回途中を5失点で降板。エースたるもの2回続けては負けない、というのが俺の中ではあったんだけど、マサは調子が良くても5~6回までの投手だった。

 それを落合博満監督は6回も続投させた。俺は「えー、なんでまだ投げさせるの? これでご苦労さんじゃないの?」と思った。王手をかけてあと1勝、この試合を落としたらヤバイ…。結果的に6回に逆転されて2―4で完敗し、第7戦も落として日本一を逃した。

 試合後、俺は落合監督に「なんでマサを代えなかったんですか?」と聞いた。「お前、調子悪く見えたか? 俺の目には良く見えたぞ」。「いや、そういう問題じゃなくて、実を言うと昔、こういうことがあったんです…」

 そこで落合さんに話したのが、広島で現役として出場した1986年の日本シリーズだった。西武相手に王手をかけながら、そこからまさかの4連敗。ポイントとなったのが第5戦だった。同点で迎えた9回。阿南準郎監督は出塁した山本浩二さんにいつものように代走を送らず、勝ち越しのチャンスをつぶし、延長の末に敗れた。

 浩二さんはその年限りで引退を表明しており、最後まで浩二さんとプレーしたい、花道をつくってあげたい、という気持ちは阿南さんもみんな一緒だった。しかし、それが結局アダとなり、一気に西武へと傾いた流れを最後まで止めることはできなかった。誰もが間違いないと見えることに間違いがあり、その判断が命取りとなってしまう。だから「今回も第6戦に勝てなかったら第7戦も勝てないという感覚があるんですよ」と言ったら、落合さんは何の反論もせず黙っていたね。

 後年、俺がユニホームを脱いでいた2007年、日本ハムとの日本シリーズ第5戦で落合さんは8回まで完全試合をしていた山井大介を代えたでしょ。いろんな人に批判されても9回から岩瀬仁紀に代えたことで、結果的には日本一になった。代えていなかったら逃していたかもしれないし、1球で逆転される可能性だってある。日本シリーズで完全試合目前なんだから代えてほしくないという気持ちも当たり前だし、代えたら何を考えているんだ、となる。

 でも、あれで正解なんだ。400セーブを挙げた岩瀬という守護神がいる。シーズンは取り戻せても短期決戦は取り返しのつかないことになる。だから山井から岩瀬に代えて勝ったことが、すごくうれしかったね。俺にとっても86年のこと、04年のことがあったから「落合さん、ようやってくれた!」と思った。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。