「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」などの野球漫画で知られる漫画家の水島新司さんが10日に肺炎のため亡くなった。82歳だった。熱烈な南海ファンで、球界に多大な貢献のあった水島さんの突然の訃報に接し、球界には悲しみが広がっている。「あぶさん」のモデルとも言われた元南海・柏原純一氏は、南海の運命を左右した「野村解任騒動」前夜に、野村克也氏、江夏豊氏、水島さんとともに語り明かした〝あの夜〟を振り返った。

 突然の訃報に接し、ただ驚いている。

 水島先生とは引退後も長いおつき合いをさせていただいたが、やはり思い出すのは南海時代。1973年から和歌山・田辺でキャンプを張るようになり、先生はいつもユニホーム姿で激励にかけつけてくださった。私もちょうどそのころ駆け出しから、一軍のレギュラー格になった時期。当時は兼任監督で私もかわいがってもらった野村克也さんも交え、公私でおつき合いさせていただいた。

「あぶさん」の連載が始まったのもちょうどそのころ。ご本人の口からは聞いたわけじゃないし、本当のことはよく分からないけど、よく周りから「(主人公の)景浦安武はお前がモデル?」と言われた。けど、悪い気はしませんでした。むしろ光栄に感じていました。今のようにパ・リーグの選手にもスポットライトが当たる時代ではなかったし、当時はまだセ・リーグにしか日が当たらなかった時代。にもかかわらず、自分が漫画家として一本立ちする前から応援していたチームだからという理由で、売れっ子になった後も常にホークスを中心に描き続けてくれたわけですから。

「先生にもっと描いてもらうために、もっと打ちまくって、派手に目立ってやろう」って気持ちになった選手は僕に限らず、当時は数多くいた。

 もちろん、そう思えたのは、先生が選手をそれだけ〝その気〟にさせてくれたからこそ。よく覚えているのが当時のシーズンにあった地方遠征で、先生の故郷である新潟で試合があったときのこと。今も新潟での試合は12球団を合わせても年1回、あるかないかぐらいだけど、当時もその感覚で、先生は「本当にホークスが新潟に来てくれた」と、それはそれは大喜びで。試合後は、マイクロバスを1台、僕たちのためにチャーターしてくれて。それに乗ってチーム全員を「サボイ」っていう新潟で一番の高級クラブに連れて行ってくださって。飲めや歌えやのドンちゃん騒ぎをした夜は今でも覚えている。

 同時に先生はプレーする側だった我々と同じぐらい、南海というチームに熱い思いと深い愛情を注いでくれる方でもあった。1977年のオフに起きた野村さんの解任事件。野村さんが、球団から解任通告を受けた前夜は、野村さんと私、江夏豊さんと先生の4人でテーブルを囲んでいた。話の中身は「来年こそ、絶対に優勝したい」とか「ならば、どうやったら勝てるか?」といった73年以来、優勝から遠ざかっていたチーム再建にむけた強化策。結果的にそんな内々での〝会議〟は無意味な野球談議に終わるんだけど、その夜は翌日に野村さんが解任されるなんて、誰一人思っていなかった。

 とにかく真剣に南海の未来を語り会う場だったと覚えている。先生は野村さんの良き理解者でかつ、外から見た視点で鋭くチームの課題を指摘してくれて。先生が描く漫画には玄人しか知らないような描写や発言も出てくるでしょ? 今思えば、そういった我々との野球談義も、描くうえで役に立ったのかなと思う。

 その後、球団から野村さんが「解任」され、私も江夏さんも南海を去ることになるんだけど、先生は最後まで「違うだろ! それは」と怒ってくれてね。先生はそのころ、本当に南海の黄金時代が将来、必ず来ると信じて疑ってなかった。その翌年から南海はダイエーへの身売りを経て、20年連続Bクラスという暗黒期に入るわけなんだけど…。その後もいちずにホークスを愛し続けた姿には、頭が下がる思いだった。

 漫画家という職業、個人の趣味趣向が高じてとはいえ、これほどの愛情をもって野球を描き続けてくれた描き手は、水島先生以外に僕は知らない。野球を通じて本当に素晴らしい人に巡り会えたと思っています。感謝しかありません。合掌。

(野球評論家・柏原純一)