【取材の裏側 現場ノート】東京五輪の象徴的な日本人アスリートを挙げるとすれば、最もふさわしいのは誰か――。

 聖火リレーの最終ランナーを務めた女子テニスの大坂なおみ(日清食品)、白血病で長期休養していた競泳女子の池江璃花子(ルネサンス)、柔道男子66キロ級&女子52キロ級で〝兄妹金メダル〟の阿部一二三(パーク24)と妹・詩(日体大)、フェンシング男子エペ団体、女子バスケットボール代表、ソフトボール代表、野球代表「侍ジャパン」。人によって思い浮かぶ選手、チームは異なると思うが、きっとすべて正解だろう。

 大会を振り返れば、多くの名場面がよみがえる。そうした中、記者は卓球男子の張本智和(木下グループ)もその1人だと考えている。卓球といえば、水谷隼(木下グループ)、伊藤美誠(スターツ)組が混合ダブルスで金メダルを獲得。日本卓球史上初の快挙は列島を大いに盛り上げた。ただ、今回は初の大舞台に臨んだ18歳にスポットライトを当てたい。

 その前に今大会はコロナ禍での開催となり、感染対策に大きな注目が集まったが、招致段階から掲げていた「復興五輪」という大きなテーマを忘れてはいけない。東日本大震災の被災地の姿を世界に伝えるため、聖火リレーのスタート地点や競技会場として使用された。

 仙台出身の張本も被災者の1人で、7歳のときに震災を経験している。こうして迎えた初五輪はシングルスこそ4回戦で姿を消したが、団体では悔しさを晴らすかのような活躍で銅メダル獲得に貢献。大一番の勝負強さは、水谷が「本当にエースとしてふさわしいプレーをしてくれたと思う。彼(張本)なら十分今の日本を引っ張ってくれると思う」と称賛したほどだ。

 そんな張本がメダルを手にした際、復興五輪への思いを次のように語っていたのが強く印象残っている。

「この大会は勝敗に関わらず、1球もあきらめたりしない気持ちを一番大事にして戦っていたので、その姿を大会を通して少しお見せできたのかなと思います。スポーツの世界、みんな練習頑張っていますし、みんな勝ちたいと思っているので結果は自分の気持ちだけではどうにもならない。でも、最後に勝つことができて、メダルを地元の皆さんにお見せできるのかなと考えるとうれしいですし、1秒でも早く仙台に持ち帰ってお見せしたいなと思います」

 これまでも3月11日が近づくと、取材で震災や地元に関する話題に言及してくれたが、自国開催の五輪に特別な感情を持っていたのは間違いない。そして、先日には念願だった仙台への凱旋が実現した。

 大先輩の水谷から「エースの称号」を継承した張本。復興と同じように自身も歩みを止めるつもりはないはずだ。

(五輪担当・小松 勝)